ハイカラだった牛乳〔6998〕2022/06/13
2022年6月13日(月)曇り
昨日、高知へモンて来たら、暑かった。晴れてまして、空港から会社までの自転車の暑かったこと。でも今朝は涼しくて、これから雨になっていく予報。いよいよ高知も梅雨入りでしょうか。まあ、そんな季節です。コロナだろうが戦争だろうが、季節は巡る。ちょっとでも良い季節にしていきたいですね。
さて。写真は今朝の、僕の部屋。この写真撮った時刻は、まだ晴れてました。三宝山の向こうから朝日が昇る。
で、部屋の壁に掲げているのは、弊社の昔の広告。おそらくは、昭和20年代のもので、以前、コレクターの方がデータを送ってくださいました。すごいですね。なんとお洒落な広告でしょう。
弊社は今年で100周年。その100年間に、日本人の食生活も大きく変わり、社会構造の変化し、広告のありようも、劇的に変わってきました。その変化を感じさせてくれる、広告。
牛乳の御用命は 衛生設備の完備する高知牛乳へお願致します
新鮮なる牛乳を何時でも御希望の時間に配達致します
高知ミルクプラント
高知牛乳食品株式会社
代表者 吉沢八洲夫
高知市南與力町7番地
電話1124番
高知市では、小学校の給食で牛乳が提供されるようになるのは、昭和40年代のこと。子供がグイグイと牛乳を飲む風景が定着するのはその頃で、それ以前は、健康増進の薬のような役割であった、牛乳。少し高級なもので、大人が飲むものだった、牛乳。そして、この広告からもわかるように、ちょっと洋風で、ハイカラなイメージがあった、牛乳。
戦前には、堀詰に森永さんのミルクホールがあって、僕の伯父が、自転車で牛乳を配達していたと聞いたことがあります。当時は、お洒落な社交場であった、ミルクホール。
戦後になっても、しばらくは、牛乳のイメージはそんな感じだったんでありましょう。このお洒落な広告が、時代の空気を伝えてくれます。大人の洒落た飲み物だった、牛乳。
この100年間には、そんな時代もありました。
時は流れ、学校給食での牛乳が普及し、手軽に誰でもが飲めるようになりました。卵と並んで価格の優等生と言われ、久しい牛乳。穀物やエネルギーコストなどの暴騰で、厳しい厳しい酪農家さんの現況を鑑みても、そろそろ考える時期にきていると、思います。
コロナだろうが戦争だろうが季節は巡る。
少しでも良い季節にしていきたいですね。