ここは溜池〔6996〕2022/06/11
2022年6月11日(土)薄曇り
そんな訳で、まだ東京にいます。
今晩、関東高知県人会の主催による「高知県人交流会」が開催され、それに出席する為に、まだ、東京。コロナということもあって、東京へ来る機会も少なかったので、業会の会合での出張に合わせて諸々の用事をぶち込みました。
高知県人交流会も、コロナで開催できてなくて、久々の開催になるみたいです。今回、出張のタイミングにドンピシャで、せっかく参加させて頂けるのことになったので、ロングライフリープルのご紹介もさせて貰います。高知出身、関東在住の皆さんに、故郷のソウルドリンクが常温で気軽にご利用頂けるようになったという、お知らせ。
そんな訳でまだ東京に居るので、今朝は5時過ぎから久々に都心RUN。西新宿に泊まってますので、甲州街道から新宿通りを東へ。最終目的地は築地。場外でホルモン丼を食べたくて食べたくて。早朝起き出して、更新世段丘の尾根道である新宿通りを走りました。
都心は、こんな感じの更新世段丘。段丘を水の流れが開削して、複雑なウネウネになってます。幾度も幾度も書いてきたように、そのウネウネ地形を利用して計画的につくられたのが江戸の町で、その江戸の町の文脈を引き継いでいるのが現在の、東京。段丘の尾根には幹線道が通り、その道に面して大名屋敷。谷筋、水辺には庶民が暮らし、繁華街が形成される。
新宿通りは、江戸城の西門である半蔵門を出て甲州街道へとつながる幹線道路。なので、段丘の尾根に沿ってつくられてますね。なので、走りながら左右を見ると、どちらも坂道が谷に向かって下っていきます。坂道だらけの都心。
で、四ツ谷の駅のところから、外堀と赤坂離宮の間を下っていく坂道がありますよね。いわゆる紀伊国坂。その坂が「赤坂」という地名の起源とも言われてますよ。ネットでは、その坂上に界隈に茜草が多く生えてたから赤根山と呼ばれたから赤坂になった、という説とか、赤土の坂だったから赤坂だ、という説とかが紹介されてます。
さて。どうなんだろう。
赤土という可能性は、あります。この武蔵野面である更新生段丘の関東ローム層は、濃い褐色と表現されますきに。でも、赤褐色ではないので、赤土と見えるのかどうなのか。赤坂離宮の土を調べてみたらわかるね、たぶん。
赤坂見附へ下り、日枝神社の方へと下っていくと、溜池。ここは溜池の交差点。スマホに表示してあるのは「古地図散歩」の、明治初期の地図。明治初期、ここにはまだ「溜池」が残っていたことがわかります。青丸が現在地で、その下に「池溜」、すなわち溜池と書かれてるのが見えますでしょうか。
溜池は、江戸の町が作られた時に、上水道の為につくられた池。更新世段丘が集めてくる水を貯めて、上水として利用した訳だ。こんな地形ですきんね。で、その後、神田上水が引かれるけども、激増する江戸の人口を賄いきれない。そこで玉川上水が引かれた話は、以前も書きましたねー。
今朝は、その玉川上水の終点、四ツ谷の水番所跡地前も走ってきたけど、そこには東京都水道局新宿営業所があって、文脈を引き継ぐにもほどがある。いや、素晴らしいね。
今はもう、風景は変わってしまったけど、この交差点が池だったのはほんの、150年前。
400年前には何もなかった更新世段丘につくられた江戸の町を想像しながら、心地良く走った土曜の朝。もちろん築地でホルモン丼は食べました。美味しかったです。