晴れの国、岡山で思うこと〔6989〕2022/06/04
2022年6月4日(土)晴れ
晴れの国、岡山は文字通り晴れてます。
昨日関西方面へ行っていて、岡山で泊まりました。久々の岡山泊まり。で、5 時半に起き出して、懐かしい場所を走ってきたのでした。
懐かしい、というのは、僕は、大学を卒業してから1年間、岡山大学農学部畜産物利用学研究室で、研究生をやってたから。青春の1年間を過ごした岡山市。当時は、農学部の研究室とジャズ研部室と津島京町のアパートとを行き来する日々。表町にも時折自転車で出掛けてましたねー。
ジャズ研ではサックスとドラムをやっておりました。サックスを吹いてたバンドのリーダーは工学部のS君で、ジョン・スコフィールドが好きなギター弾きだった。僕のアパートにもよく来てて、僕が高知へ帰省中は部屋を貸したりしていたS君が、とんでもなく偉くなっていると知ったのは、何年か前のことでした。
今年から日本化学会の会長なんだって。あのS君が。すごい。あの頃のが懐かしいねー。
その岡山大学キャンパスも、随分と変わりました。が、農学部の、僕が通った研究室界隈は変わってません。あの頃は歴史とかにはまったく興味もなかったので、あのキャンパスが、陸軍第17師団司令部のあった場所、ということなど、知る由もありませんでした。
南の運動公園は練兵場があった場所。言われてみればそんな感じやけどね。
陸軍の師団司令部が大学になったのは、第44連隊本部が高知大学になったのと、同じ構造。たぶん、全国にはそんな歴史をもつ大学がいっぱいあるんだろうと思います。
そして。ここ岡山大学でも、現在の施設は歴史の文脈の中にありました。写真右手の大きな建物が、僕が在籍していた当時には無かった建物で、現在の大学本部。スマホに表示しているのは戦前の地図で、師団司令部が置かれいたと思われる場所に、大学本部。そう。第44連隊本部の建物があった場所に高知大学の大学本部があるのと、同じ。
左手に見える素敵な洋館。あれは、明治40年に建てられた、陸軍第17師団歩兵第33旅団司令部庁舎の建物。現在も、大学の施設として使われてます。空襲でも焼け残ったんですね。
研究室のすぐ横に、こんな建物があったのに、気付いてなかったあの頃。もったいないねー。
表町にあったトポスで買ってきた一人用の炬燵を研究室の空きスペースに持ち込んで、個室みたいにして使っていたあの頃。勉強していた記憶は、あまり、ない。
あの頃は、戦後40年くらい。そしてあれから37年経ちました。戦争からあの頃までと、あの頃から現在までが、同じような時間になってしまった。光陰矢のごとし。S君の活躍を見るにつけ、頑張らんといかんと思うのでした。一寸の光陰軽んずべからず。
晴れの国、岡山は、今日も晴れてます。