1961年〔6949〕2022/04/25
2022年4月25日(月)曇り
こないだ、還暦になりました。なりましたのに、もう、終わってしまいました。1年経過。
年齢を重ねるごとに、時間の経過を速く感じるのは生物学的に証明されてるみたいやけど、いやはやまったく、本当に、指数関数的に加速していく時間の流れ。
感覚で言えば、大学卒業して働き始めたのはついこないだ。やけど、浅間山荘事件やアポロの成功などは、かなり昔のこと。そんな感じ、しませんか?
そこで、僕が生まれた年、1961年のこと、書いてみます。にっこりひまわり19年間で、書いてそうで書いてない、生まれ年の事柄。
自分が生まれた年の大きな出来事としてキチンと認識しているのは、アメリカでケネディが大統領になったことと、ガガーリンが人類として始めて宇宙を飛行したこと、くらいでしょうか。ケネディはガガーリンにショックを受けて、ソ連に先駆けて、1960年代に月面に人類を送り込む、と宣言したのでした。キューバ危機の前年で、東西冷戦が激しくなっていた時代。
僕が生まれたのは4月。その誕生日には、大阪環状線が全通、とあります。なるほど。それがどうした、という程度のニュースだ。ウィキ見ると、さすがウィキで、それがどうしたみたいな出来事も多いですな。しかし、ガガーリンが宇宙を飛んだのも、その4月。実は翌月、アメリカのシェパード宇宙飛行士も友人宇宙飛行を成功させてるけど、ぜんぜんまったく知られてないですねー。1番と2番は、こうも違うのだ。
その4月、アイヒマン裁判、とあります。あの、ナチスのアイヒマン。そう。僕が生まれた当時は、まだ「戦後」だった。戦争の傷跡があちこちに残り、街には傷痍軍人があちこちに。そんな「戦後」から「冷戦」へと突き進んでいた時代。8月には東ドイツがベルリンの境界を封鎖し、キューバではピッグス湾事件が発生して翌年のキューバ危機を迎える。そんな時代に、僕は平和な高知で生まれたのでした。
ウィキみると、その年の10月、ヨシフ・スターリンの遺体がレーニン廟から撤去、とあります。ソ連国民から見ても、明らかに賞賛には値しない人物として認められた訳で、そのスターリンやヒトラーが居た時代への決別が行われた、という、意味のある出来事だった。
翻って、今。61年が経過した、今。
歴史は繰り返す、という事実から目を背けなければ、某国の指導者も、将来、そんな憂き目に遭う道へ進んでいるようにも見えます。
世の中の先はなかなか見通せないけど、論語によれば「六十にして耳順う」だそうで、まだまだ先の長い人生、素直にひとの意見に耳を傾けながら、頑張っていきたいと思う所存でございます。
今朝の高新、きんこん土佐日記では、昨日の牧野博士の誕生日と雨音のネタ。雨音に反応するたくみ君の感性が、昨日の僕と共鳴してて、嬉しい朝になりました。さあ、仕事を始めよう!