帯屋町は特別な場所〔6950〕2022/04/26
2022年4月26日(火)小雨
このところ、降ります。今のうちに恵みの雨となってもらい、ゴールデンウィークには晴れてくれると嬉しいねー。まだまだコロナ収束にはならんけど、人の動き、増えてきました。今日は図書館オーテピアにやって来て、資料作成作業に勤しんでおります。
オーテピアは、僕らが通うた追手前小学校の跡地に建てられたもの。なので、ここへ来る度に、あの当時のこと、今から半世紀も前のことを思い出したりします。
で、還暦を過ぎ、そろそろ退職とかで高知へ帰ってくる同級生も増え始めました。こないだ、そんな一人、S君と飲みました。2年ほど前に早期退職で海外の勤務から高知へと戻ってきたS君。S君は、幼稚園の頃、僕が通っていた聖泉幼稚園に転園してきました。で、一緒に追手前小学校へ進学し、その後、中学校も高校も同じだったという幼馴染。
高校卒業してからは、ほとんどお会いする機会もなかったけど、こないだ、本当に久しぶりにゆっくり飲んで、話ができました。走馬灯のように蘇る、半世紀前の風景。
この写真は、今朝10時頃の帯屋町二丁目。まだ開店前の、静かな帯屋町アーケード。
S君の家は、この帯屋町のアーケードにありました。この向こうの信号を渡って少し行った左手。ご両親がお店をやってて、僕も、よくその家に遊びに行ったことでした。当時は店舗の上に住居、というケースが殆どだったので、同級生には帯屋町で暮らす者も多かったですね。
そんな訳で、この左手の金高堂さんがあるチェントロの場所は病院だった、とか、僕ら世代の記憶を蘇らせたりしたのでした。
そう。この帯屋町二丁目には、車寄せのある大きな病院、町田病院があり、大きな安い衣料品店があり、ラッキーシールの交換所があり、金物屋さんがあり、文具屋さんがあり、そして靴屋、服屋、傘屋などなどが軒を並べる商店街でした。この界隈、元々は武家屋敷街だったこともあって区割りが大きく、戦前は公共施設や病院などが多かったエリア。町田病院は、そんな街だった頃の名残でした。
商店街は発展し、年末などは、天神様の輪抜け様か、と思うほどの混雑でした。
今のアーケードは、当時は考えられんかったような飲食の店が増え、風景もすっかり変わってしまいました。でも、県外資本大型商業施設が撤退してからの長い間、大きなフェンスが占領していたアーケードも、オーテピアやチェントロができ、そしてひろめ屋敷の賑わいなどに伴って、また、賑やかになってきてます。
右手の食パン屋さんは、小学校同級生のO君がFCで始めたもの。向こう、信金さんの向こうの角にあるecocca(イコッカ)さんというお店は、料理もとても美味しくて、そしてひまわりコーヒー味、リープル味のobi糸かき氷が最近登場してます。これ、んまいです。ひまわりコーヒーの味、リープルの味がよく出てますのでとってもお薦め。ぜひ。Instagramは、これ。
さあ。これからの世の中の流れは、街中かも知れません。
コロナは気になるけど、ゴールデンウィークに、ここをたくさんの善男善女が歩くことを期待したいね。半世紀経っても、やはり帯屋町は高知県民にとっては特別な場所。