咥内、河内、神内〔6951〕2022/04/27
2022年4月27日(水)晴れ
雨も上がって、お日様が顔を覗かせ始めました。鳥の囀りが初夏を感じさせてくれます。田んぼの緑も濃くなってきましたねー。本社棟2階の窓から眺めた風景。田んぼの向こうは、咥内。古くからの集落、咥内。物部川の河畔に成立したでありましょう、咥内。こうない。
以前、咥内という地名について、寺田寅彦大先生の奇説をご紹介したこと、ありますねー。土佐の地名をアイヌ語と対比させて、咥内はカウンナイで、ナイが川なので「係蹄をかけて鹿を捕る沢」という意味かも知れない、と考えた奇説。本人ももちろんこじつけは自覚してて、「要するにこじつけであって、ただある一つの可能性を示唆し、いわゆる作業仮説としての用をなすものに過ぎない」と書いてます。これ、すごい。寺田博士の、研究に対するスタンスがよく表れてると思う。すべての可能性を否定しない。そして、自由な発想は観察や驚きの中で、事物を探究していく。これを帝大の先生がやってることがすごいよね。寺田学、自由自在。
で、手持ちの角川書店「高知県地名大百科事典」によりますれば、咥内、上咥内は中世から「咥内島村」と呼ばれてて、それは、物部川の流路に挟まれた地形であったことから「河内島村」と呼ばれたことに由来する、とのこと。なるほど。河内が、咥内。
ところで高知にはもう一ヶ所、有名な咥内があります。朝倉の咥内坂。朝倉駅前から枝川の方へと向かう途中、峠があります。その峠へ上っていく坂道が咥内坂。こうれもまた、中世の頃から咥内坂と呼ばれていた、らしいです。とは言え、今のように切り通しに整備された地形ではなかったので、当時の咥内坂は今とは少し違う場所にありました。それでも、あそこは川に挟まれている訳でもないので、何故、咥内坂なのか。
あの咥内坂は、どうやら神内坂、らしい。高知新聞夕刊に掲載されていた「土佐地名往来」によると、朝倉神社神田のある神の領域であったから神内で、こうないで、咥内になった、ということらしい。
ネットで「咥内」という地名を検索してみると、この高知県内の「咥内」しか出て来ません。高知には「咥内」が二ヶ所あって、それぞれ「河内」「神内」から始まったのでした。どうでもいいですか?
それにしてもこの「土佐地名往来」は便利な資料ですな。