堀川・満開の桜・自然地形・先人の想い〔6924〕2022/03/31
2022年3月31日(木)薄曇り
桜満開。今日で3月も終わり、明日から4月。コロナ渦中、3度目の春になりました。
つまり、一昨年春に小学校や中学校や高校へ入学した子どもたちは、ずうっとコロナの学生時代を送っている訳で、このままコロナの中で卒業を迎える可能性もある訳で、本当に想像もできなかった世の中になっている訳です。
これがもう、当たり前、という生活。コロナの中で過ごすのが当たり前、という感じでしょうかね。いや、それでは困る。来年こそ、この満開の桜の下で堂々と賑やかにお花見ができたらいいね、などと思っているのは僕だけではないと思います。
今年も、ご家族だけで、とか少人数で、とかのお花見は、この堀川でも行われてます。去年よりは賑わっているような気も、します。もう忘れたけど。
そう。ここは堀川河口。鏡川大橋の、中の島へ降りていく側道の上から撮影しました。今朝、未明の堀川。ここにはプレジャーボートの浮桟橋があって、その向こうに高知市文化施設「かるぽーと」。「かるぽーと」は、明日から1年間休館して、大規模改修工事を行うようになってます。「かるぽーと」前も桜満開で、多くのお花見客が桜のトンネルの下を歩いてますが、工事始まっても大丈夫なんでしょうかね。桜が散るまでは大丈夫なんでしょうかね。
幾度も幾度も書いてきたとおり、ついこないだまで、この堀川は高知の城下の物流大動脈でした。昭和の頃まで、「かるぽーと」の場所に中央卸売市場があり、多くの舟が往来していた堀川。その堀川は藩政期初期に整備されたものですが、おそらくは、自然地形を最大限に利用してつくられたインフラだと思われます。
都市計画は、地形を利用して効率的に。これは、昔も今も考え方の基本でありましょう。
そうだとするならば、元々浅海で、中世には湿地帯となっていた場所が陸地化し、その陸地の中を縦横に走っていた自然の水路を利用して運河となし、都市の動脈としていったという歴史は、容易に想像できます。
ここが物流の大動脈であった頃は、川縁に桜を植えよう、などといった発想はなかったと思います。しかし時代は変わり、自動車輸送がメインとなって中央卸売市場も移転すると、堀川は一転して静かな水辺となった。その水辺に植えられた桜。そこには、ここで暮らす先人の想いがありました。
ここの、満開の桜を見るたび、自然地形から都市建設の歴史、そして先人の想いに、思いを巡らすのでした。
ああ。お花見、したい・・・