高知駅の立地を高知駅で考える〔6923〕2022/03/30
2022年3月30日(水)曇り
昨日に引き続いて、「古地図散歩」シリーズ。今朝は高知駅。
JR土讃線、高知駅のホーム、特急南風アンパンマン列車の前で撮影。スマホ表示の「古地図散歩」は、明治時代後期の地図。いつものように青丸が現在地。
田んぼの真ん中につくられた駅、ということ、よくわかりますねー。明治期の市街地は、ほぼほぼ江ノ口川の南側に展開してて、北側は一面の田んぼ。田んぼの中に比島だけが屹立する風景だったこと、わかります。
こうやって見てみると、鉄道が引かれることになった際、市街地からかなり離れた場所に高知駅がつくられたことが、わかる。当時の「鉄道」の立ち位置が、わかりますねー。
そう。市街地に住む人たちにとっては、鉄道はかなりの迷惑施設だったのでありましょう。特別な時に、遠いところへ行くのが、鉄道。なので市街地から離れていても良かった訳だ。
主たる迷惑の理由は二つ。いや、三つか。
まず思い浮かべるのは煤煙。蒸気機関車なので、当然、煙突から大量の煤煙を吐き出すので、そんなものが街中にできたら困る、というのは直感的に理解できます。
次に想像できるのは、騒音振動。木造家屋の多かった当時、重量のある蒸気機関車の振動は家を揺らしただろうし、音も、それまでの時代にはなかったような機械的轟音も、迷惑やったでしょう。
そして。
ここから先は、食事中の方とかはお控えください。そう。黄害。
まあ、黄害については以前にも書いたことあるので、こちらをお読みくださいね。鉄道の迷惑度合いで言えば、ひょっとしたらこれが一番嫌がられたのかも知れませんな。
高知駅が繁華街と離れているのは、そんなこんなの理由がありました。全国の大きな都市の中央駅って、もう少し繁華街に近くて駅前が繁盛しているイメージがあります。言論の自由がお国柄で、権力に対する反骨心の強い県民性が、こういう立地を選ばせたのかも知れない、などと汽車の中で妄想するのも、また楽しい。
さあ。今日も頑張って仕事仕事。仕事にでかけよう。