「瀬戸」の由来とニュータウンと「菜食健美」〔6922〕2022/03/29
2022年3月29日(火)薄曇り
今朝は珍しく、高知市瀬戸を通って出勤。ここ。この十字の場所に立って、北向いて撮影しました。スマホに表示されているのは、1965年頃の地図。青丸の場所が現在地。
そう。瀬戸の団地は、高知市でもかなり早い時期に宅地化され、整備された団地。「今昔マップ」でその変遷を並べてみました。
左上が、明治41年の地図。左下が現在の航空写真。山と田んぼしかなかった村に、団地fができたのは、1970年頃やったでしょうか。
右上が1965年の地図で、右下はその頃の航空写真。明治期に比べると道路が整備され始めてて、この現在地の西側には、団地ができ始めていることがわかります。その頃、浦戸にあった母の実家にしょっちゅう行っていたけども、通っていたのはこの地図のような風景の瀬戸だったのでした。まったく覚えておりません。
この1965年頃の地図見たら、「瀬戸」という地名の由来がわかるねー。
ここ。ここに「瀬戸」という地名が見えます。そこは、浦戸湾が切れ込んだ入江みたいになってる場所。その入江界隈を古来瀬戸と呼んだのでありましょう。その地名が、この一帯に開発された団地全体の名称になっていった訳だ。訳です。
そこは現在はこんな感じ。ここが「瀬戸」という地名のルーツであること、みなさんご存知でしょうかね。
で、瀬戸団地。高知でも指折りの古い団地なので、こないだ高知新聞にも連載されてたように、かなりの高齢化が進んだ団地になりました。ただここは、近年のニュータウンみたいに山につくられた訳ではないので、高齢者でも住みやすい街なのかも知れません。
古いニュータウンと言えば、千里ニュータウンを思い出します。1970年の万博の後、あの広大な千里丘陵を切り拓いてつくられた巨大なニュータウン。今から20年以上前、その千里ニュータウンを歩き回ったことがあります。まだ、弊社の青汁「菜食健美」が、四国の外では宅配してない時代の話。
大阪に物流がつながったので、「菜食健美」を関西方面で宅配できないか。そんな夢を抱いて、販売店を置く候補地と勝手に見定めた千里ニュータウンを歩き回ったのでした。
結局、千里ニュータウンで「菜食健美」の宅配事業を始めることはできませんでした。が、大山乳業様やいかるが牛乳様に協力して頂くことで、関西方面でも「菜食健美」の宅配を始めることができたのが、2003年頃のこと。夢を見ながら歩き回った千里ニュータウンは、あの頃既に、かなり高齢者の多い団地になっていたのが印象的でした。
今はどうなっているんだろう。世代交代して、また、新しい顔を見せているんだろうか。
と、まあ、夜明け前の瀬戸団地を通りながら、古いニュータウンについて思いを巡らしたのでした。「古いニュータウン」って、ちょっと、意味がわからんけど。