潮見台3丁目から〔6905〕2022/03/12
2022年3月12日(土)晴れ
今朝は、会社へ来る途中、久々に潮見台ニュータウンのてっぺんに立ち寄って、未明の街灯りを撮影してきました。この山に団地をつくろう、と考えた人は偉いねー。かつての航空写真は、これ。この十字の場所に立って撮影したのが今朝の写真。
今、高知新聞で、高知市にできてきた古いニュータウンの連載があって、なかなか面白い。古いニュータウンってのもヘンやけど。でも、高度成長期に始まった団地建設で、当初のニュータウンは今、画期を迎えているという話。
若いご家族も、年数が経過すると高齢化する。そして、持ち家というものは、そうそう引っ越すものではないので、街全体が高齢化していく訳で、その後をどうするのか、というのはなかなか興味深い課題ではあります。
右手の向こう側の明るいところ。南国市篠原界隈。つまり、こないだご紹介した、古代の長岡郡の郡衙があったと思われる、この辺りの中心地。長岡台地の先っぽにできた役所群があり、国分の国衙や都とを結ぶ官道の結節点。
昨日、3.11でした。11年前の大地震と大津波以来、地盤が固くて標高がそこそこある土地の人気が急速に高まりました。山田とか野市とかね。山田も野市北部も、地盤の固い更新世段丘の上。なので、地震にも強いし津波も来ない。
この現在地を中心にして、地理院地図の土地条件図を見てみよう。同じ、四国山地から流れ出て来る河川が運ぶ土砂の堆積によってできた土地でも、その成り立ち、時代によって、全然違う色分けとなってます。古いのは、さっきも書いた更新世段丘。この画面右上から伸びてきているオレンジ色。数万年前から数十万年前に浅海底で堆積し、長い年月の間に買う水面が下がって小高くなった、固い地盤。
その右手の黄土色は、それより少し新しい物部川の扇状地。それでもかなりの年月が経過しているので、扇状地やけども、そこそこの地盤の固さと高さを持ってます。弊社も、標高13mありますきに。
そして、薄い緑の部分が数千年前から堆積した陸地で、この1000年くらいで陸地となったのが、水色の部分。
縄文の人々は、山の岩陰などで暮らし、弥生人は扇状地で暮らす。そして灌漑技術が進み、更新世段丘に暮らすことが多くなり、田んぼは肥沃な氾濫平野で行うようになる。
そんな人類の歴史が、この土地条件図で読み取れる気がします。しませんか?
その氾濫平野の水辺に都市が形成され、都市に人々が住み、居住エリアは外へ外へと拡大して団地が造成。いつまでも広がり続けると思われてた都市は、人口減少とともにシュリンクし、マンションが林立して中心部回帰が始まる。
さあ。これからどうなっていくんでしょうね。この眼下の郡衙界隈で暮らした人々が、今のこの風景を想像できなかったように、僕らも、遠い未来は想像できない。