後免町の始発電車〔6849〕2022/01/15
2022年1月15日(土)晴れ!
今朝も、冷やいね。冷やい。空気が透き通って、心地よい朝。この空気に、焚き火とか練炭とかの匂いが混じると、もっともっと冬らしい気分が盛り上がるけど、最近はそんなこともなくなりました。
ここは今朝、6時前の後免町。電車の終点、後免町の車庫で、一番電車が出発の準備をしてました。始発は、6時発の鏡川橋行き。
電車ってのは、いい。鉄道ってのは、いいと思います。
こないだ、弊社の、高須に住む社員さんが、引っ越しを考えてるという話をしてて、引っ越し先も高須がいい、と言うてました。その理由のひとつに、お街で飲んでも電車で帰って来れる、というのがあって、なるほど、と思ったことでした。
お街で飲んでバスで帰る、という発想はないけど、電車で帰る、という発想は、あります。何故だろう。同じような大きさの公共交通機関なのに、電車とバスの違いって、なんだろう。電車は便数が多くて便利ってのもあります。確かに。でも、それだけではない魅力が電車にはあるんだよね、たぶん。
あ。ここで言う電車って、路面電車のことね。高知で「電車」というと路面電車のことですきに。JRは「汽車」。電化されてないので。土讃線の四国山中のトンネル状況に鑑みて、土讃線が今後電化されることは無いだろうから、高知県人にとって永遠に「電車」は路面電車であり、JRは「汽車」だと思います。どうでもいいですが。
この後免町の駅って、どんな場所につくられたのか。ここに後免町駅ができたのは、たぶん大正13年。弊社創業が大正11年だから、その2年後。
それ以前の地図を、今昔マップで見ると、これ。後免町駅のところへカーソルを持っていくと、そこは街の東の田圃の中であることがわかります。街道沿いでは、ありました。街道は、現在の後免の商店街を通ってそのまま西へと進み、篠原で現在の電車通りのルートで高知の城下へとつながっていました。後免の電車通り、後免東町、後免中町、後免西町は、電車が開通してからできた街やね。それまでは、あの界隈も田圃。
面白いのは、野中兼山さんの治水灌漑事業によってできた後免の町は、更新世段丘の上。かつての街、集落って、地盤が硬くて少し高い、更新世段丘の上につくられています。そして鉄道も、更新世段丘の上を、走る。
現代は、そういう地盤に関係なく道路がつくられ、新しい街ができてゆく。今、後免界隈にも新しい道路が作られています。今計画されてるのはざっくりこんな感じ。道路工事で、いろんな貴重な遺跡が発掘されてるのはご承知の通り。
後免の風景って、これから激変していくんではないかと感じてます。そんな中、変わらぬ風情で走り続ける電車の姿は、僕らを少しホッとさせてくれますな。
はやくコロナが終息して、また「おきゃく電車」で宴会ができる日が待ち遠しい。コロナ退散コロナ退散。