フィリピン海プレート、西へ!2〔6842〕2022/01/08
2022年1月8日(土)晴れ
昨日、300万年前にフィリピン海プレートが西へ動き始めたことにより、現在の日本列島の風景ができあがっていった、みたいなこと、書きました。
そう言えば、以前にも、300万年前の西進によって、四国山地からまっすぐ北流して瀬戸内海に流れ出していた吉野川が、阿波池田で直角カーブして東流し、現在の流れになった、みたいなことも書きましたねー。ことほど左様に、重要な重要なフィリピン海プレート。
写真は、五台山の展望台から撮影した浦戸湾。東西に走る山地が、この浦戸湾によって分断され、そして高知の平野と太平洋がつながる地形ができました。何故か沈降する、高知県中央部。
その地形のお陰で、高知の城下から龍馬が生まれたのだ、みたいな話をブラタモリでやったのは、もう何年前になるんだろう。で、あの時はフィリピン海プレート西進の話はしませんでした。できませんでした。知りませんでした。
今一度ブラタモリがあれば、もうちょっと違うストーリーを喋れるかも知れませんねー。そう。フィリピン海プレート西進が醸し出す幕末維新。なんちゃって。
えーと。おさらいですが、太平洋を北上してユーラシアプレートに潜り込んでいるのが、フィリピン海プレート。太平洋プレートは、東から西へ進んでユーラシアプレートやフィリピン海プレートに潜り込む。で、北上してきたフィリピン海プレートが、ユーラシアプレートの下で太平洋プレートの先っぽにぶつかってしまったのでした。仕方ないので、彼(彼女?)は方向を変えて西へと進み始める。それが300万年前のこと。
それがこの写真の風景とどういう関係があるのか。
昨日も書いたように、西へ進み始めることによって、ユーラシアプレートの方は、東西方向が圧迫されることになったのでした。そして、シワシワができる。そのシワシワが、瀬戸大橋の島々であったり、しまなみ海道の諸島であったりする訳です。その間には、島が少ない広い海(灘)があることからも、シワシワが理解できると思います。この説明でわかるかどうか、知らんけど。
そして。その東西圧迫によるシワシワは四国島にも及び、室戸と足摺を隆起させているのでした。そしてシワシワの谷の部分が、高知市のある界隈。土佐湾も、そのシワシワの谷。
そんな訳で、この浦戸湾は、シワシワの谷ということがわかりました。室戸足摺は隆起し、高知市界隈が沈降するメカニズム、おわかり頂けたでしょうか。この説明でわかるかどうか、知らんけど。
フィリピン海プレートが西進を始めなければ、ここに浦戸湾は存在せず、高知の城下は生まれなかった訳で、幕末に龍馬が活躍することもなかった、という話を、ブラタモリでやってみたいねー。当時は、こんなメカニズム、知りませんでした。世の中、知らないことだらけ。日々是、勉強。