浦戸〔6820〕2021/12/17
2021年12月17日(金)晴れ
昨夜は久々に降りましたねー。夜中に雨も上がり、良いお天気の朝になりました。
写真は、今朝、5時頃の浦戸。浦戸大橋南詰、以前料金所があったところに車を置いて、浦戸大橋を少しだけ歩いて上ったところから撮影したもの。眼下に浦戸漁港。そして浦戸湾。正面に、烏帽子山や柏尾山のテレビ塔が見えてます。
かつて、浦戸の漁港では競りが行われており、活気がありました。何代か前の弊社総務部長Oさんは、弊社で働く前、浦戸漁港の市場で競り人をやっておりました。今は弘化台に統合され、市場機能はありません。なので朝5時、静かな静かな浦戸漁港。
右端の森には、山内の殿様の別邸、観海亭がありました。浦戸湾と、湾口から見える太平洋を見晴るかす別邸。そしてその東にはお稲荷さん。
観海亭の場所には、山内氏以前、長宗我部の時代から別邸があったとも言われてます。長宗我部元親さんが浦戸に城を築いた頃、浦戸は栄えた港だった。
その観海亭は、戦時中は海軍第23突撃隊浦戸派遣隊浦戸基地本部宿舎として利用されました。あの、特攻潜水艇「回天」の基地本部。もしあの日、戦争が終わらなかったら、ここが悲劇の舞台になっていたかも知れない、基地跡。
戦後は、料亭などに利用されてたと言います。浦戸生まれの母に聞くと、女学校の友達を家に招いて、観海亭にあった料亭でご飯を食べた、と言うてました。以前、その跡がどうなっているのか探検したこと、あります。家屋がそのまま朽ち果ててペシャンコになっておりました。今から8年前。
現在はもう、入れんなってます。森の樹々を伐採したら、今でも結構風光明媚やと思うんですけどね。
その森の左手、漁港から、対岸の種崎まで往復していた渡船があった話は幾度も書いてます。僕らはポンポン船と呼んでいた、小さな渡船。この写真でも対岸種崎の灯りが見えるけど、あそこと往復してた、ポンポン船。
浦戸の町も、空き家が増えたですね。高齢化も進みました。浦戸が栄えたのは、浦戸湾の出口にある安全で便利な港であったから。
海上交通の便利さを見直してみたら、観光客が街歩きするようになり、活気が戻るかも知れない、などという妄想を暴走させる今日この頃。
そうそう。そうなったら観海亭も復活させたらいいね、などと、今、思いました。
いかん。妄想してる場合ではない。良い天気になりました。今日も頑張って仕事仕事!