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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

津野山、中平善之丞、ミュージカル、高野の舞台〔6806〕2021/12/03

津野山、中平善之丞、ミュージカル、高野の舞台

2021年12月3日(金)晴れ

須崎から津野町、檮原を抜けて愛媛へ国道194号線が通ってます。東津野の町を抜けて檮原へ向かう途中、左手に「高野の舞台」という看板があり、その近くに堂々とした銅像があるの、ご存知でしょうか。

高野の舞台は、明治初期に建てられた農村歌舞伎の舞台で、ハンドル操作によって舞台を回転させる「鍋蓋上廻し式農村舞台」というので、有名。4年に一度、その舞台を使って農村歌舞伎が行われているそうで、今年はその開催年やったけど、コロナのバカのせいで、中止になったそう

 

で、その堂々とした銅像。それは、18世紀中頃に、地元のために尽くして犠牲となった中平善之丞さんの、像。1752年(宝暦2年)、土佐藩8代藩主、山内豊敷は、藩財政立て直しの為に、コウゾや茶などの専売制を強化しました。津野山は、コウゾや茶の産地で、重要な産業。その津野山の御用商人「蔵屋」は、その専売権を利用して、コウゾや茶を買い叩いたのでした。窮乏する村人たち。

その地の庄屋であった中平善之丞さんは、周辺の庄屋を集めて協議し、藩庁へ訴えました。しかしその訴えは握りつぶされる。怒った村人たちは、蔵屋襲撃を企てる。中平善之丞さんはそれを押しとどめつつ、自ら藩庁へ出向いて訴えるも、他の庄屋の密告で騒動が明らかになり、主だった者が捕縛される。善之丞さんも捉えられ、そして、責任は重いとして打首になりました。

 

その後、藩庁では、専売制の廃止などを実施することになった訳やけど、善之丞さんは、義人として地元の人たちに尊崇されるようになり、祟りを鎮めるために高知城内に善之丞を祀った祠が建てられ、この高野に、風神鎮塚が建てられました。津野山一揆とか津野山騒動とか言われる歴史的事件。

 

平成4年、高知市文化振興事業団が檮原町と共催して、その津野山一揆を題材にして「ミュージカル津野山物語」を制作、公演したのでした。地元高知の参加者を集めてつくられたミュージカル。

実は。

僕はそのミュージカルに出演してます。いや、一揆の群衆の中の一人なので、いわゆる「その他大勢」やけど、オレンジホールの舞台に立ったのは、事実なのである。ある人から誘われ、何度か稽古に出向き、舞台の上で衣装を着て雄叫びを挙げたのは、とても印象的でした。なんか、とんでもなくゾクゾクしたのを覚えてます。演劇にハマる人は、こういう快感が増幅していってハマるんだろうな、と、思ったことでした。小学6年生のとき、僕が台本書いた「ハムレット」でオフィーリア役を演じて以来の、演劇の舞台。中平善之丞さんの銅像を見ると、あの時の舞台上での興奮を思い出します。「その他大勢」なのに。

 

「高野の舞台」で歌舞伎を演じる地元の人たちも、その本番をとても楽しみにしてたことでしょう。コロナが終息して、再び、農村歌舞伎が演じられる日がはやく訪れたらいいですね。

そんなことを、早朝、九州方面へと向かいながら通りかかった夜明け前の津野山で、思ったことでした。


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