板垣退助さんゆかりの場所へ〔6799〕2021/11/26
2021年11月26日(金)晴れ
板垣退助さんの墓所というと、高知市民なら、薊野の墓所を思い浮かべる人も多いと思います。美術館のところからまっすぐ北へ行った道が、高知インターの方へとカーブしている所に、「板垣退助の墓」と書かれた看板があるから。でも、その場所は、その道路沿いからは行けるようにはなってませんでした。交通量の激しい道路で、車、停めれません。でした。
そんな訳で、初めてお参りしたのは2015年8月のことでした。炎天下ランの途中で、蚊が多い山に、お参り。で、せっかく看板があるのにそこに車は停めれず、また、墓所への生き方もわかりにくい、という声が多かったんですね。そんな声を上げた方々の尽力で、こんな感じで駐車場ができてます。近年のこと。
お陰で、こうやって車停めて、墓所にお参りすることができるようになりました。せっかくの偉人、板垣退助さんですきんね。
高知での板垣退助さんゆかりの地と言えば、まずは生誕地。小学生の頃、毎日、その生誕地の碑の前を通って追手前小学校へ通ってました。高知城には立派な銅像。小学生の頃、あの銅像の脇を駆け登って高知城の公園で遊んでましたねー。
あとは、中央公園。立志社跡の碑があって、その碑の文字を書いたのは中学高校のときの書道の先生。立志社、立志学舎があった東九反田公園は現在の家の近所で、子供が小学生の頃の夏休みには、毎朝ラジオ体操に通ってました。
自由民権運動の分裂につながる物議を醸した洋行から帰ってきた際に大宴会をやったのは、今の自宅の真前に見える丸山台。そしてその向こうに、明治の頃に住んだ板垣退助さんの邸跡。
こんな感じで、板垣退助さんゆかりの場所には、僕もずいぶんとゆかりがあったのであります。さすが高知。狭いねー。
そうそう。板垣退助さんの墓所は、東京品川にもあります。と、言うか、東京で亡くなってるので、そちらの方が本墓で、この板垣家の墓所には、分骨されたとのこと。
こうやって長年にっこり書いてきてると、ほとんどの縁の地には足を運んでますな。ところが自由民権運動にはそんなに詳しい訳ではなくて、まだまだ勉強不足。今朝の高知新聞に、幸徳秋水さんがクロポトキンに宛てた英文の手紙が発見された記事がありました。英語の教育を受けた訳でもなく、必要に迫られて独学で学んだ英語の文章。すごい。見習わんといけません。まだまだ努力も勉強も、足りない人生。