天満宮、野田ちから歌碑と鹿持雅澄〔679〕2005/02/23
2005年2月23日(水)素晴らしい快晴
とても良いお天気です。昨日の朝よりもずっと暖かく、春めいた朝になった高知県地方です。日中の予想最高気温は15℃。
ここ潮江天満宮では、ご覧の通り梅の花が咲き誇り、素敵な香りを漂わせよります。以前お話しました通り、天満宮に祀られちょります菅原道真公は、梅ととても深い関係がございます。で、天満宮のマークと申しますかロゴと申しますがシンボルは梅の花。写真正面に見える潮江天満宮社殿の紫色の幕に書かれちゅうマークが、その大きな梅の花ですね。
参道右手の白梅の向こう、石段を上がったところには飛龍梅。この左手には梅林があります。百度石がたくさん立っちょりまして、また、歌碑もいくつかございます。写真左端の四角い歌碑は、明治初期の国学者、野田ちからさんの歌碑。野田さんは、「鹿門十哲の一人に数えられた」とこの横の立札に書かれちょります。鹿門とは、鹿持雅澄(かもちまさずみ)門下ということでしょうね。幕末の国学者で、「万葉集古義」を著わした大先生が鹿持雅澄さん。奥様をとても大切にしたことでも知られちょりますな。少年の頃は愚鈍と思われちょったそうですが、17歳で志を立ててからはその才能を遺憾なく発揮、見事な業績を残したのであります。高知城の山内一豊公の奥様像の近くに、その鹿持雅澄先生が愛する奥様の事を詠んだ「秋風の 福井の里に妹を置きて 安芸の大山越えかてぬかも」という素敵な歌碑があります。
さて、ここ潮江天満宮の野田ちから先生の歌碑は、梅を詠んでおります。
衣手は 破れぬともよし 梅の花
しづ枝引くとも おらで行かめや