旧石器時代人の暮らし〔6789〕2021/11/16
2021年11月16日(火)晴れ!
昨日の夜、中央公園界隈は、龍馬生誕祭とやらでなかなか賑やかなことになってました。なんとなく、徐々に、ポストコロナに向かっているような気がします。このままこのまま。このまま収束し、終息してほしいですねー。
そんな訳で、今日は汽車に乗って本州方面。この夏までは控えてた出張も、なんとなく、徐々に再開。出張ってのは、楽しいねー。いや、別に、楽しいから出張している訳ではありません。出張で、いろんな風景を見たりいろんな場所へ行けたりするのが、結果的に楽しいのであります。
瀬戸大橋。この橋を渡りながら瀬戸内海を眺めるたびに、2万年前の風景を想像してしまいます。そして、300万年前のできごとにも思いを馳せる。300万年前、北上してきたフィリピン海プレートの東端が太平洋プレートにぶつかり、その動きを少し西へと変えたというできごと。その地球規模のできごとがなければ、瀬戸大橋もなかったと訳だ。
つまり、西へ動き始めたことで、フィリピン海プレートが沈み込んでいるユーラシアプレートにシワができ、そのシワが、瀬戸大橋が架かっている塩飽諸島を形成した訳で、その諸島がなかったら橋も架けれんかっただろう、という話。以前にも書いたこと、ありますね。
で、これも幾度も書いてきたけど、今から2万年前、つまり現生人類が日本列島に住み始め、旧石器時代の文化が広がっていた時代は、最終氷期によって海水面が今より100m以上低くなっていて、この、今は海水が湛えられている瀬戸内海は広大な平野でした。人々は歩いて本州から四国へ渡り、旧石器文化を広めていたのでありましょう。
想像してみよう。ここが広大な平野だった風景を。あの島々は、平野の中に屹立する山。塩飽諸島やしまなみ海道の島々は、山脈のように見えたでしょうか。
旧石器時代の遺跡は、こんな感じで少し小高い場所の岩陰にあったりします。狩猟採集の生活では、山に暮らすことが便利だったから、みたいにも言われたりします。が、しかし。農耕以前、人類は漁撈もしていた訳で、そういう食べ物に恵まれ、暮らしやすい気候に恵まれていた、瀬戸内平野に、人々が暮らしていなかった訳はない。つまり、この風景には、この海水の下には、人々の暮らし、営みがあったんだろうことは、容易に推測できます。
考古学では明らかになっていないですね。当時の、平野部での暮らし。今は海に沈んでしまった文化や文明がどんなものだったのか。などと、この橋から瀬戸内海を眺める度に想像してしまい、妄想が暴走を始めるのでした。いつか海底考古学が発展したら、旧石器時代史が大きく書き換えられるんだろうと、思っています。