松淵川公園〔6787〕2021/11/14
2021年11月14日(日)薄曇り
コロナがおとなしくなってるので、街は大賑わい。なかなかの人出になっておる、週末です。
ここは今朝の松渕川公園。Googleマップで見ると、ここ。この公園の南側に、十数年前まで、弊社の本社がありました。ここに土佐乳業、少しして高知牛乳食品株式会社が設立され、工場が建設されたのが昭和21年のこと。戦後間も無く、焼け野原になった高知市の中に、牛乳工場がつくられたのでした。
今は本社も南国へ移転し、工場と本社が一体になってます。
今では信じ難いけど、僕が子供の頃は、この街中に牛乳工場があったのでした。ここに、県下の生乳が集められ、殺菌充填されて、販売されておったのです。そんな工場の中で、僕は生まれ、育ちました。いや、工場の中で生まれた訳ではなくて、工場隣接の社宅。いや、生まれたのは現在NTT南局がある場所にあった県立中央病院やけど。で、中学校一年まで、ここで育ちました。
だからこの公園は、この界隈に住む僕たち子供の、文字通りホームグラウンド。まだこんなに木々が鬱蒼としてなくて、開けた感じの公園。フットベースやったりブヤボールの野球やったりした、公園。
その名も松渕川公園で、僕が生まれる前頃まで、ここには川が流れてました。この西に、逆U字型の池があり、その池と堀詰をつなぐ、川。そして川の北側には高知座という芝居小屋。結構大きな芝居小屋だったようです。高知を代表するような。
そういった娯楽は、川沿いに発展しました。芝居。芸能。歓楽街。日本では、古来、そういったものが発展したのは河原だった。水辺だった。ここにこんな公園があるのは、ここを小さな川が流れ、芝居小屋があったから。
明治から昭和にかけての地図を見ると、ここに川が流れていたことがわかります。
僕が少年だった頃、この界隈にはたくさんの子供が住んでて、子供の天国だった公園。今は子供も減り、なんとなくウラ寂しいたたずまいになってました。緑課さんも、草は刈ったほうがいいね。でも、ここに立つと、あの頃の風景が懐かしく浮かんでくる。
この手前にあったのは、ブランコ。靴飛ばしをやって、道の南のすみれ学園の壁に靴を当てて叱られたりした、ブランコ。
向こうの青いのは、昔からそのままの、コンクリート造りの船の遊具。昔はマストみたいなのがありました。
公園の外周はブロック塀で囲まれてて、ボール遊びをしても大丈夫なつくりになっていた、公園。昔の公園って、そうでした。
工場跡地には病院が建ち、北側には大きなマンションが建設中。その東側にはセブンイレブン。
住宅街と工場、紙問屋さんの倉庫などが並ぶ街は、半世紀経過して、すっかり様変わり。これからもどんどんと変わっていくだろうけど、昔、ここに川が流れ、芝居小屋があったお陰で、ここは公園であり続けていきます。
周囲の景観はどんどんと変わるけど、この公園のたたずまいは、昔とあまり変わらない。ただ、巨木になった木々が、半世紀の時の流れを感じさせてくれます。