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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

潮江変遷〔6786〕2021/11/13

潮江変遷

2021年11月13日(土)良いお天気

会社、本社棟の前では、山茶花が咲き始めました。季節は秋から冬へ。山茶花と書いてサザンカと読むのは、山茶花をサンサカと読んでたのがいつの間にかひっくり返ってサザンカになった、と、ウィキに書いてます。なるほど。大言海にもそう書いてて、「烏骨鶏をヲケッコウと云ひ、晦日をツモゴリと云ふ類」とのこと。「ヲケッコウ」「ツモゴリ」と言うておった時代があった時代に思いを馳せ、日本語の奥深さに感じ入っている晩秋の朝。良いお天気の土曜日です。

 

ここは潮新町。僕が子供の頃から劇的に風景が変わった場所のひとつ。ここは、圧倒的に田んぼばかりの風景でした。少なくとも、僕が、この近くの高校の通う時代までは。

「今昔マップ」でこうやって並べてみると、その変化がよくわかります。そもそもこの場所は干潟のような場所。そこを干拓して、農地にしたのは江戸時代でしょうか。なので「新田」。しんた。明治になり、潮江用水が神田川から引かれるようになって、真水に恵まれた豊かな水田地帯になったと思われます。その豊かな水田地帯は、今は市街地に呑み込まれてしまいました。その大きな要因が、昭和56年3月に開通した鏡川大橋でしょう。鏡川大橋は土佐道路につながり、市街地外周をまわるバイパスのような道路になったので、その道路に沿って街が急速に発展したのは、皆様ご承知の通りね。

 

「今昔マップ」では、明治末期、昭和8年、昭和40年の地図を並べてみました。そして現在の地理院地図。

明治末期、広大な良田の真ん中に、地形を無視したまっすぐな電車軌道が引かれました。この直線が、当時の都市計画の心意気でしょうか。その電車開通が潮江地区を変えてゆく。学校が建てられ、工場ができる。桟橋に近くて海運の便が良いことが、海岸地帯の発展を促し、電車の軌道が市街化を促進する。

そして年月が流れ、戦争を経て、電車通りを中心に市街化が進みました。

僕が大学生の頃、鏡川大橋が開通。新たな都市計画の波の中で、鏡川大橋と土佐道路をつなぐ道路沿いに、新しい街ができあがり、人口が増え、マンションや商業施設が並び、いつしか田んぼは消えていった、そんな変遷。

 

ここには、交通インフラが都市を形成していく、典型的な風景があります。

これからどうなっていくのかは知らんけど、ここで、江戸時代の昔から農業を営んできたKさんは、今も、良質の葉物野菜などをハウス栽培しておられます。ここに、こんな風景があったことを、今に伝える農家さん。あの素晴らしい葉物野菜や生食トウモロコシは、この土地の、長い歴史の文脈の中に、あります。


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