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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

土居〔6760〕2021/10/18

土居

2021年10月18日(月)晴れ!

昨夜は冷えましたねー。今までみたいに窓開けて寝てたら、冷やい冷やい。慌てて窓、閉めました。それでもまだ、キンモクセイは香ってきません。これまでの気温の関係でしょうか。

写真は今朝、3時過ぎの鏡川。出勤途上、鏡川大橋北詰の土手の上から撮影しました。西の空低く、月齢11のお月様が、まさに沈もうとしております。筆山の向こうへ。

 

筆山には、戦国期、お城と申しますか砦と申しますか、とにかくこの、土佐の中原を見晴らす拠点が構築されました。そこの主人は、森氏であったり本山氏であったり、そして長宗我部氏であったり。

森氏は、現在の土佐町から進出してきて、あの山を拠点にしたと言われてます。が、詳しいことは、妙にわからない。本山氏が砦をつくったのは間違いなさそうで、その本山氏を追い出して長宗我部氏が城を築いたのも、間違いなさそう。そして、長宗我部氏は森氏に管理を任せたのも、間違いない。

 

この対岸、正面は土居町。森氏の土居があったから土居町、と、僕は聞いてます。地形分類を見ると、鏡川の自然堤防上の小高い場所であったこと、わかります。長宗我部時代の、管理人としての森氏の土居なのか、本山氏がやってくる前の森氏の土居なのかは、僕にはわかりません。でも、土居があったことは間違いなさそうで、筆山麓を中心にして戦国武士が居住していたことが、想像できます。

山内氏が城下町をつくった際、武士の居住区はこの川の北側につくられました。その際、土居がどうなったんでしょうかね。今度、調べてみよう。

 

「土居」という地区は、県下にもたくさんあります。一番有名なのは安芸市の土居でしょう。織豊期から「土居」だった、安芸の土居。土居とは、そもそも、「中世の豪族屋敷の周囲に築いた土塁とその内側」のこと。だから「土居」と名のつく場所には、中世の、遅くとも織豊期の、有力豪族の「土居」があった訳だ。安芸の土居は安芸氏の土居。仁淀川町池川には「池川土居」と「安居土居」があり、窪川にも、野市にも「土居」があって、全部その時代の有力豪族の「土居」だったのでした。

そして土佐町の土居。もちろん森氏の土居だ。

森氏は、本拠である森村に城と土居をつくり、そして土佐の中原に進出してきて、あの山に砦を、この対岸に土居をつくったのでした。

森さんは、土居が好きみたい。

 

いや、好きとか嫌いとかではなくて、戦国期は、自分のテリトリーを守るために土居が必要だったのだ。厳しい厳しい時代でした。


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