吉井源太とブレゲ〔6759〕2021/10/17
2021年10月17日(日)薄曇り
こないだから、スイスのジュネーブ、ジュー渓谷やドイツ、グラスヒュッテなどの、機械式時計の産業集積について、書いてます。で、規模は違うけど、高知、伊野の製紙業の産業集積についても、ちと、触れました。
ここは伊野。伊野小学校の北側の道路から、北へ50mばかし入ったところにある、「吉井源太翁生誕地」。幾度か来たこと、あります。高知では、伊野を中心として、様々な、本当にいろんな種類の、紙が製造されています。世界一のシェアをもつ電解コンデンサの絶縁紙とか、僕らの生活の様々な場面にビックリするほど使われている不織布とか。それぞれ、独特の、特異な技術で、世界を舞台に活躍しておられます。
で、土佐には、藩政期から土佐和紙の文化があり、産業として栄えておりました。仁淀川の清い流れが、その産業を支えてきたのは、言うまでもない。で、その伊野の、土佐藩御用紙漉きの家柄に、1826年に生まれたのが吉井源太さん。幼き源太くんは器用で、絵を巧みに描き、幼少の頃から藩邸への出入りを許されておったと言います。で、長じるに及び、製紙器具を改良したり、分業体制の形態を構築したりと製紙業の改革に取り組む。維新後は、内国勧業博覧会で製紙での最高賞を受賞したりしてます。なにより、源太さん、技術の向上に努力を重ねて、土佐の製紙業の礎を築いたということで、もっともっと知られててもいいし、もっともっと顕彰されても良いと思う、偉大な人物。
源太翁の育成した技術者は、伊野のみならず高知で、高知のみならず日本で、日本のみならず世界で活躍するようになったのでした。
その生家は、現在、こういった形で保存され、中にも入れるようになってます。今朝はまだ早いので、開いてないけど。
やはり、技術やねー。技術に基づく産業集積。集積することで、原料の調達や技術者育成などが容易になる。スイスの時計産業も、そうやって発展した。
で、腕時計の「複雑機構」と言われるものの多くは、19世紀の初頭に、天才時計師、アブラアム=ルイ・ブレゲによって発明されたと言います。懐中時計の機構として。永久カレンダーとかミニッツリピーターとかね。時計業界の吉井源太、ブレゲ。いや、土佐製紙業界のブレゲ、吉井源太か。
でね。時計が正確に時間を刻む為に、振り子式が発明され、その原理が懐中時計の、後には腕時計のヒゲゼンマイ式調速機に取り入れられましら。17世紀のこと。
機械式腕時計のムーブメントは、基本、この方式の延長線上にあります。今もね。
で、ジュネーブに、フレデリック・コンスタントという1994年設立の新しい腕時計メーカーがあります。近年、日本のシチズン傘下になったけど、すごいメーカーですね、これは。詳しい説明はせんけど、ひょっとしたら、このムーブメントは、17世紀以来の腕時計の歴史を変えるかも、知れません。いや、気のせいかも知れんけど、僕はすごいと思いました。
新興ブランドで、創業者は技術者でもなんでも、ない。ところが、あれよあれよと技術を向上させてムーブメントから仕上げまで、全部自社工場でやるメーカーになり、そして「モノリシック・マニュファクチュール」ときたもんだ。
やはり、技術。そして柔軟な発想。経営者が、技術と発想を大切にして、どんどんと前へ進んでいくこと。これが大事だと、思いました。スイスの時計も、伊野の紙も。そして、僕らの業界も。