デルフトの小路〔6716〕2021/09/04
2021年9月4日(土)晴れ
昨日は、クロード・モネとモネの庭とジヴェルニーの風景について書きました。で、有名な風景画が描かれた場所とか、気になるよね。なります。なる。そこで今朝は、そんな場所へ行ってみました。コロナなので。
ここはオランダ、デルフト。
そう。もうここでわかる方は多いと思います。日本人には特に人気が高い画家、フェルメールの故郷。故郷というか、フェルメールはずうっとデルフトで暮らし、その作品もデルフトで描かれたものばかり。かの分子生物学者にして思慮深い学者、福岡伸一先生が大好きな画家としても有名。フェルメールと同時期にデルフトで生きたレーウェンフックは、自作の顕微鏡で地球で初めて微生物の世界を覗いた人物。この偉大な二人が、オランダの小さな町で同時期に暮らしてたという奇跡。今朝は、そんな町へ行ってみました。
フェルメール作品の中で一番有名なのは、この「真珠の耳飾の少女」でしょう。日本にも来たし。そしてこの「牛乳を注ぐ女」も有名。その作品をパロディにしてNHKの「びじゅチューン」で「何にでも牛乳を注ぐ女」がつくられた話は、前にも書いたねー。
デルフトの話です。こんな感じで、フェルメール作品は、室内で光を効果的に使った人物画が多いのでありますが、風景画は、少ない。たぶん、2枚しかない。そんな希少なフェルメールの風景画に「小路」という作品が、ありますね。こんなの。住んでた家の近所らしいけども、最近までこの絵が描かれた場所は、特定されてませんでした。
でもやっぱしみんな気になるのね。で、1667年に作成された「デルフト運河浚渫台帳」という古い資料に、当時の運河沿いの家屋や通路の幅が記載されてるのを見つけた人が居て、それを詳細に綿密に検討した結果、場所が特定できたらしいのですね。詳しくは、このページで。
「小路」の建物。レンガ積みを見ると、イギリス積みだ。確かにフランドル地方からは少しだけ外れてるけど、イギリス積みなのね。オランダが貿易で栄えてた時代、この街には縦横に運河が走り、荷物を積んだ舟が往来してたんだと想像できます。
そして、特定できた、「小路」の場所が、ここ。ここらしい。この建物と建物の間の路地が、フェルメールが描いた路地なのかどうなのかは、知りません。
でも、今から360年前に、この場所をフェルメールが描いたと思うと、なかなか感慨深いよね。
そして、この道路の真ん中の緑色。これ、運河。
何より素晴らしいのは、街を縦横に走る運河を、埋め立てもせず、そのまんまにしていること。この歴史ある街を、運河がより一層引き立てる。これが高知なら、とうの昔に埋め立てて二車線道路にしてたんだろうね。ああ。羨ましい。
フェルメールがここで暮らした時代も、そして今も、ここには運河が流れ、戦争で破壊されて街並が変わっても、フェルメールやレーウェンフックが暮らした雰囲気を味わえる街、デルフト。
この運河を小舟が行き交い、そこの路地からフェルメールの叔母さんが、牛ホルモンが入った鍋抱えて出てくる風景を想像してみました。
物流手段が船から鉄道、そして自動車に変遷していっても、古い街並に運河が残る、デルフト。羨ましいねー。