ジヴェルニーのモネの庭〔6715〕2021/09/03
2021年9月3日(金)曇り
早くも秋雨前線か。夏はどこへ行った?
と嘆いていても仕方ない。コロナやし。で、最近、以前行ったことのある場所へgoogleで出掛けてみて、行った気になるシリーズやってるけど、今朝は行ったことのない海外にしてみました。
せっかく、行ったことない場所へ行く訳やから、どこにしょうかと考えて、まずは、高知にもゆかりのある場所にしてみました。ここ。ジヴェルニー。
パリの北東、セーヌ川沿いの美しい町、ジヴェルニー。いや、「町」と言えるほどの町ではない、緑溢れる田舎の風情、ジヴェルニー。ここは、特に日本人にも人気のある観光名所。印象派の巨匠、クロード・モネゆかりの町だから。
そう。ジヴェルニーは、モネが、43歳から86歳で没するまで暮らした場所。その美しい風景を特に気に入り、絵にする為に庭を美しくつくりあげたことでも有名。モネは印象派の巨匠やけども、パリのサロンでは評価されず、貧乏暮らしが長かった。しかし徐々に評価され、絵も売れ出して、ジヴェルニーで暮らした時代は、暮らしむきも安定しておりました。
モネというと睡蓮が有名やけども、睡蓮の連作は、そのジヴェルニーで描かれたもの。山田五郎は、不遇のうちに、不幸な目に合わせて死なせてしまった最初の奥さんに対する贖罪とか鎮魂とか、そういった意味合いが、あの睡蓮にはあったんではないか、という説をこのYouTubeで述べておられます。
で、そのジヴェルニーには現在、モネが愛した庭園、クロード・モネ財団、印象派美術館などがあり、真ん中を走る道は「クロード・モネ通り」。モネで栄えている場所、と言うても過言ではないね。
そのジヴェルニーにGoogleマップで行ってみよう。コロナやし。
これ見たときに、なるほど、北川村「モネの庭」の「花の庭」は、ここを模倣してるのか、とすぐわかりました。この衛星写真で。ストリートビューで見ると、これ。北川村では、こう。本当に忠実に、本物の雰囲気と風景を模倣しているんだ。
北川村では、「花の庭」よりもずっと上に、睡蓮の咲く池があります。ジヴェルニーでは、「花の庭」のすぐ下にありました。Water Garden。
モネの日本趣味は有名で、その池にも日本風の橋を架けて、そこをモチーフにして名作をたくさん描いてます。ジベルニー、本場の池と日本風の橋の現在は、これ。そして北川村では、こう。北川村では、撮影した日のお天気があんまし良くないので、比較すると残念やけど、実際の北川村「モネの庭」も、負けてなくて美しいのはご承知の通り。
北川村が、縁もゆかりもなかった「モネ」に注目し、「モネの庭」をつくるに至った歴史は、ここに書いてます。そもそも、バブル期に、特産の柚子に関連したワイナリーなどをつくって観光客を呼び込もう、というそれこそバブリーな計画が立案されたのが、始まり。しかし、大きく計画は変更されてゆき、現在の姿に。これはもう、関係者の皆さんの努力と知恵とセンスと頑張りと言うしかない。素晴らしいと思います。よくぞ、ここまで。本当に。
このヒストリー。スタートにはこう書かれてます。
「1996年秋 村は何の伝手もないままに担当者をフランス・ジヴェルニーへ派遣。コーディネーター兼通訳の円山和子女史と出会い、モネの庭責任者Gilbert Vahe氏を訪問。当初は会うことも叶わず、熱意をこめたチャレンジを続ける。」
これがはじまり。すごくないですか?
そして、現在の、クロード・モネ財団も認める素晴らしい庭がつくりあげられていった。やはり大事なのは「想い」。思想。想い。熱意。センス。知恵。どれひとつ欠けても、現在の北川村「モネの庭」は無かったのでありましょう。
北川村「モネの庭」には、よく行きます。行けます。が、本場ジヴェルニーには、なかなか行けません。でもこうやって、今は、ストリートビューで簡単に行くことができて、北川村とも比べられるし、周囲の街の雰囲気を楽しむことも、できます。
コロナでとんでもない時代になったけど、こんな楽しみ方もできるすごい時代にも、なりました。