新幹線開業時は4時間だった〔6706〕2021/08/25
2021年8月25日(水)曇り
こないだから幾度か触れてきた、交通公社の時刻表1964年9月号復刻版。いやー、飽きんね。飽きません。いつまでだって眺めてられます。
終わりの方に、読者投稿のコーナー「ビュフェ」というのがありました。9月号「ビュフェ」で紹介されてる投稿者は、東京都杉並区阿佐ヶ谷2丁目636にお住まいの、山本孝市さん。って、この頃は個人情報もクソもないのである。まあ、住居表示が変わってるので今のどこなのかはわからんけど。その山本さんの投稿の書き出しはこうだ。
「時刻表は利用するものである。しかし自分はあえて愛読書といのである。机上や枕頭に、はなした事がない。これ一冊あればたいくつした事がない。なにか不愉快なことがあっても時刻表を開き、あちこち見ているといつか忘れてしまう。後略」
わかる。わかるねー。今は、僕や山本さんのような時刻表愛好家は減ってしまったんだろうか。どうでもいいですか?
ともあれ、新幹線開業を翌月に控えた時刻表。そこには、こんなページがありました。
「世紀の新幹線10月1日開業」
新幹線の超特急「ひかり」特急「こだま」をご利用になれば、東京ー大阪間は日帰りで出張できます。
そう。それまで、最速でも6時間半かかっていた東京大阪が4時間に短縮され、日帰り可能になる、という話だ。
ん?4時間?
新幹線が開業したときから、東京大阪が3時間10分で結ばれたと思ってました。ところが最初は4時間だったんですねー。時速は210km、3時間10分と刷り込まれてたので、ちょっと意外。確かに最高速度は210km出したけども、翌年までは160kmで徐行運転する区間が多くて、4時間かかっていたのである。
で、翌1965年、「予定通り」通常を時速210kmとして、3時間10分でつなぐようになった、ということなのである。そうなのである。
ここで想像できるのは、東京オリンピックに合わせてなんとか開業に漕ぎ着けたけども、安全確認の時間が足らず、取り敢えず4時間でスタートさせた、という経緯。
そうであるならば、国鉄の技術者なのか建設省の役人なのか知らんけど、安全に対する断固とした矜持を持った人が居た、ということだ。今だったら、「そんなことは聞いてない。とにかく開業3時間10分で行け。間に合わせろ。反対する役人は他へ移ってもらう。」などと言いそうな人が居るけども、当時も居たかも知れんけど、現場のテクノクラートは安全に対する矜持を持っていた、ということが想像できるような気がします。
とまあ、そんなこんなを想像したり妄想したりしながら時刻表を眺める朝。キリがないのでそろそろ止めて、仕事します。今日も張り切って仕事仕事!