中江兆民、久万川に遊ぶ〔67〕2003/06/22
2003年6月22日(日)雨時々曇り
今日は日曜日です。雨のなか、高知市北部の久万川沿いに遡行してきました。いつものことですが、二日酔いには雨が心地よいです、ホント。
写真は、その久万川に、支流の「名切川」が流れ込むところです。今ではご覧のようにコンクリート護岸ですが、昔は、合流地点に、流れて来た砂を堆積した小高い丘があり、「砂が森(盛)」、又は「たかすな」と呼んでいたそうです。
中江兆民は、東洋のルソーと言われた、土佐の生んだ偉大な社会思想家です。日本の民権思想に大きな足跡を残しました。その兆民が、明治21年4月に、この「砂が森」で田植えを見て遊んだことを、「東雲新聞」に寄稿しています。
砂が森のてっぺんに毛布を敷いて持って来た料理を食べながらお酒を飲んでおりました。付近では、たくさんの婦人(老少あわせ)が田植えをしておったそうです。田植え歌を聞きたいと思っておったが、「城下近辺の婦女は文明とか開花とかにて西洋流の唱歌を貴びて、土佐流の野調を賤(いや)しむと見え」、田植え歌を歌う女性は居なかったそうです。そこで兆民氏は女性を呼び集め、酒を飲ませて、田植え歌を歌うように頼みます。さすが土佐の女性、酒に釣られて喜んで歌って聞かせてくれたそうです。調子に乗って歌った歌詞には当然卑猥な内容も含まれており、その健康さに、大いに愉快に楽しんだとのこと。大学者の先生の、楽しい逸話でした。