船着場〔6685〕2021/08/04
2021年8月4日(水)晴れ!
コロナがなければ、そろそろよさこいが近づいてきて、街もよさこいムードが盛り上がってくる季節。やけど、今年は静かな8月初旬。コロナも、デルタ株とやらが増えてきて、先行きなかなか見通し立ちません。そんな中でも、世の中が動いてゆきます。しっかり対応しながら、未来へ向かって進んでゆこう。
で、未来といえば桂浜。昨日、僕の妄想を書いたら、結構大きな反響を頂きました。みんな気になってるんですね、桂浜。
昨日描いたように、海上交通拠点の理想は九反田。何故かと言うと、高知の城下の海上輸送が、江戸時代からあの界隈を起点としてたから。本当なら堀詰とか播磨屋橋とかがエイ訳やけど、誰かが埋め立ててしまって長い年月が経過するので、今なら九反田。
ただ、法的に、色々と難しい問題もあるみたいです。それをクリアしていくのは、みんなの知恵だとも思うけど、もし無理ならばということで昨日考えたひとつが鏡川案ね。昨日は、はりまや橋から歩ける潮江橋界隈を提案したけども、高知城やひろめ市場から歩いて行ける天神橋界隈もいいかも知れません。
天神橋商店街が、観光客が歩くルートになっていいかも知れない。おしゃれなカフェとかね。板垣退助、後藤象二郎の家も並んでるしね。
つまりここだ。天神橋の北詰。ここに、船着場を整備する。但し、この川辺は何年かに一度は増水して水没するから、立派な構築物を作っちゃダメね。流されてもいいようなものだ。作るとしたら。
関係ないけど、そう言えばここには、以前、長いことUFO船が繋がれてました。天神橋からのロープで。こんな感じで。あのUFO船は、鏡川まつりの時に運行してくれたりしてて、Jr.1号が小さい時に乗ったこと、思い出しました。
ここは、船に縁がある場所だったのです。知らんけど。
そしてここは、唐人町。幾度も書いてきたように、長宗我部元親が、秀吉の命令で朝鮮出兵したときに、慶尚道秋月城主朴好仁さんと一族郎党を連行して連れ帰ったことに起因する、町。山内時代になって、この鏡川北岸で、豆腐商いの特権を与えられて住まわされたから、唐人町。僕は、堤防構築と管理というインフラ整備を担わせる代わりの特権付与だったと推理しました。
それはともかく唐人町。実は、最初の唐人町は、桂浜だった。
元親が連行してきた人々は、浦戸城の真下の海岸沿い、つまり桂浜に住まわされ、そこが唐人町と呼ばれたと言います。
一豊入国後、高知の城下町が建設されていく中で、その人々は町ごと移住させられて、ここが唐人町になったという歴史。
だから、この場所と桂浜は、ルーツが同じ唐人町なのである。ここに、桂浜と市内を結ぶ船着場をつくるという妄想も、それはそれでアリなんではないかと思う、夏の朝。
こんな感じで妄想を膨らませると、楽しい。桂浜整備計画も、もっともっとみんなで楽しんで考えたらいいと思う、夏の朝なのでした。