浦戸湾今昔〔6678〕2021/07/28
2021年7月28日(水)晴れ!
一昨日、孕のこと書いたので、今朝は浦戸湾の話。
平成26年に発行された「高知市史 民俗編(地方都市の暮らしとしあわせ)」という本があります。なかなかの力作なんですが、その中の、浦戸湾に関する記述から。
かの宮尾登美子さんの回想が掲載されてて、こうあります。
「高知市下町の私の生家には昔、父の道楽から沖釣り用の動力船一ぱい、湾内用櫓舟二はいがいつも囲ってあった。(中略)魚のなかでも、とくに鏡川の青のりをついばんで育ったハゼには独特の芳香があって、女子供でも簡単に釣れるところから秋の好日など、湾内の賑わいはハリマヤ橋以上だった。舟のへりとへりがぶつかるほど混み合うなかで、大声で釣天狗ぶりを披露している人、はね廻る魚をおさえつけて刺身にし弁当を使う人、テグスをもつれさせて困っている人、そのあいだを赤旗のゴカイ屋がスイスイと縫って餌を売って廻っている。」
そう。宮尾登美子さんは1926年生まれ。なので、戦前には、今からは想像もできんような、こんな風景だった浦戸湾。絵葉書とかも残ってるけども、春や秋の、休日の浦戸湾には、夥しい数の小舟が浮かび、老若男女、釣りを楽しんでいたという風景。なんとも、羨ましい風景。
ちなみに、「土佐の魚」という本(1949年)には、浦戸湾で獲れる主な魚として、アカエイ、サヨリ、コノシロ、メナガ、ハラカタ、ウナギ、ハモ、ボラ、ニロギ、アカメ、スズキ、シマイサギ、ヘダイ、チヌ、クロダイ、アイゴ、ハゼ、ニベ、チチブ、などが紹介されてるそう。釣りをしない僕にはチンプンカンプンな名前もあるけども、とにかくまあ、自然の恵み豊かな浦戸湾であったことよ。
戦後、そういった自然の恵みの大切さがわからなかった人たちによって汚染され、ヘドロが堆積する浦戸湾になったのは、本当に残念なことでした。
今はまた、美しい浦戸湾に戻りつつあるけど、海底に溜まったヘドロは、湾口の水深が浅い浦戸湾から排出されることなく今も残ってて、ほんのいっときの判断ミスが取り返しのつかない結果を招く、という事実を僕らに知らしめています。
そうそう。その高知市史にも、大正期の、浦戸湾の回し打ち漁の写真が紹介されてます。その技法は今も継承されてて、回し打ち大会がしょっちゅう開かれ、番付もある、という話は以前にも書きました。
今朝の写真は、ここから、南の方角を撮影したもの。空には木星。低い空に土星。
この弘化台の埋め立てが、浦戸湾の広さを損なってしまいました。仁井田の埋め立ても。
不幸中の幸いは、横浜、瀬戸の海の埋め立て計画が、住民の反対などによって実行されなかったこと。もし埋め立てられてたら、浦戸湾は見苦しい水路に成り果てていたのかも、知れない。
いつか、回し打ちで獲った魚をアテに、浦戸湾のどこかで「おきゃく」したいねー。