旧国道から豊永郷〔6677〕2021/07/27
2021年7月27日(火)晴れ!
今朝は、早朝から国道32号線を走って香川方面へ。時間があるので、大好きな国道をのんびり走ってます。夏の濃い翠の中を、涼しげな吉野川の清流が流れる風景は、僕の大好きなもののひとつ。
で、国道32号線である訳やけど、今朝は、豊永界隈で、旧国道の道を通ってきました。旧国道は、吉野川の北岸、山の上。かなり標高の高いところを通っておりました。
この写真。手に持っているのは、幾度かご紹介してきた「セピア色の吉野川」という写真集。島内英佑さんという写真家が、大学の卒業制作で吉野川沿いを自転車で走りながら撮影した写真を元に、その20年後、40年後、50年後に同じ場所を訪れて定点観測のように写真を撮った、写真集。
今日、開いているページは、昭和33年(1958年)に撮影した、豊永の風景。蒸気機関車が走り抜ける、豊永。その写真には、現在の国道は写っていない。写真を撮影するために立っている場所が、当時の国道だったから。
当時よりも樹々が鬱蒼としてきてるので、同じ場所かどうかはわからない。が、この界隈だろうな、と思う場所で、撮影したのが、この写真。いかがでしょうか。1958年に比べて人家が密集しているみたいな気もするけど、人口は激減してます。山の上まで家があるけども、空き家が増えました。
この旧国道沿いは、かつて国道だった面影を感じさせるたたずまい。ですが、今は空き家も多くて、なんとなく寂しい旧国道。
交通インフラとか社会資本は見違えるように整備されたのに、そこで暮らす人はどんどんと減っていく。限界集落という言葉が日本で最初に使われた大豊町の、現実。
ここにあった小学校や中学校はすでに廃校になり、広い広い大豊町には、小学校の中学校も一つしか、ありません。でも、みんな頑張って暮らしている、何より大自然が素晴らしい大豊町。弊社の青汁「菜食健美」「青汁十菜」の原料野菜は、ほとんどがこの、大豊の大自然のなかで、栽培されています。
正面に見える山は、霊峰梶ヶ森。雪山になった頃に、幾度か登った梶ヶ森。神の棲む山、梶ヶ森。
梶ヶ森は、加持ヶ森。加持祈祷の、加持。ウィキによると、サンスクリット語のadhisthanaからきてる言葉で、仏あるいは菩薩が、不可思議な力によって衆生を守るという意味が、本来らしい。知らんけど。
この豊永郷も、霊峰梶ヶ森に見守られながら、栄えてきた里。この美しい風景の中、いつまでも栄えて欲しい、豊永郷。