葛島、里山、命山〔6675〕2021/07/25
2021年7月25日(日)晴れ
朝からクマゼミが喧しい、日曜日。夏の朝。世間では連休最終日ということでしょうかね。観光客、突然増えました。昨日の久礼もそうやったけど、県内各所、観光客さんが溢れているみたい。まあ、夏休みやし連休やしお天気えいし。平常時の夏やと、こうやって観光客さんが増えるのは手放し喜び状態になる訳やけど、なんとなく手放しはね、ちょっとね、という感じの夏の朝。まあ、こうやって少しづつ、少しづつ。
この国に、この星に住む人類は、その時々の「大変」を、知恵と努力と忍耐で乗り越えてきた訳で、僕らに必要なのも知恵と努力と忍耐なのでしょう。と、知恵も努力も忍耐もない僕が言うても説得力のかけらもないけど、ご容赦ください。先人の知恵と努力と忍耐を紹介することで、お許しくださいませ。
会社に出てきて、クマゼミの合唱を聴きながら、このにっこりを書いてます。暑いね。
かつて、大きな災害のことを「大変」と言いました。
江戸時代、土佐の中原には2回の大きな「大変」が、ありました。
「亥の大変」と「寅の大変」。
一般に言われる「亥の大変」は、宝永四年(丁亥)、つまり1807年に発生した宝永南海地震。有史以来最大級とも言われる、南海、東南海、東海同時発生的巨大地震。このにっこりでも幾度も書いてきたように、土佐にも甚大な被害をもたらした巨大地震と津波。特に津波の被害が凄まじく、その状況は、奥宮正明さんの「谷陵記」で詳しくレポートされてます。
五台山 潮ハ山マデ 家ニモ
吸江 上ニ同ジ
八頭 潮ハ山マデ 家ハ軒ヲ浸シ冬ヲ終テ干落ザレバ 居民所ヲ失ヒ 山處穴居ノ有様 目モアテラレズ
桂島 上ニ同ジ
この「桂島」が、現在の葛島。この「目モアテラレ」ない惨状を呈した葛島に、今朝、会社へ行く途中に登ってみました。標高19mくらいの小山で、古代には、古浦戸湾に浮かぶ島だった「葛島」。
「亥の大変」の際は、上記の惨状。
では、「寅の大変」は。「寅の大変」は、幕末の嘉永七年(甲寅)、つまり1854年に発生した、南海地震。この地震でも、土佐は甚大な被害を被った訳で、「亥の大変」があったから「寅の大変」。
手元には、葛島の「寅の大変」の記録は、ありません。亥と同じように、周辺が全部海になってしまい、この山に地域住民が逃げ登ったことは想像に難くない。
そして南海地震は、昭和21年にも起きる。
その際のことは、以前にも書きました。飲料水確保のため、地域住民がこの山をみんなで買い取った話も、書きました。その説明板も新しくなってて、地域の皆さんの自負が嬉しい。
ちなみに昭和の南海地震は、南海地震にしては異例に小規模だったとも言われてます。それでも、凄まじい惨状。
ちなみに昭和21年は「丙戌」。だから言うとするならば、戌の大変。
次の南海地震が、いったいいつになるのか。十二支のどの年に発生するのかは予想できんけど、「大変」になるのは、間違いない。その際、この葛島山は「命山」となり、昔と同じように人々を助ける山となる。先人の知恵と努力と忍耐で、共同所有となった葛島山は、「命山」。