四万十川赤鉄橋、一条氏、須賀神社〔667〕2005/02/11
2005年2月11日(金)素晴らしい快晴!
今日は中村。昨日の晩から出張で来ちょります。中村工場と中村支店に用事がございました。今日のお昼には高知へイヌルんですが、明日の晩は、また、この中村を通って土佐清水まで行くことになっちょります。そう。明後日のあしずり駅伝出場のためですね。
と、いう訳で、今朝は四万十川の土手を走ってきたのであります。軽めのジョグと最後のスピード練習。でも本番が近いのでかなり軽めでした。それでも心臓バクバクで、昨夜のアルコールはきれいさっぱり吹き飛んで、とても気持ち良かったです。
ここは四万十川右岸、中村市内中心部の通称「赤鉄橋」。中村のシンボルであります。見事な快晴の青空にしぶい赤が映えてとてもきれいですね。橋の向こう側の左手の山の、もう少し左には、一条氏の居城があった山があります。現在は為松公園という公園になっちょりますが、その昔は、高知県西部に絶大な勢力を誇った公家大名「一条氏」の居城がありました。前関白というとてつもない権力者一条教房さんが応仁の乱を避けて、高知市からでも車で3時間かかるようなこの辺境の地にやって来たのは、ここが京の関白家一条家の収入源の地であったからではないか、と、最近は言われております。この四万十川の河口が、南海貿易の拠点やったかも知れんきですね。
この橋を渡ってすぐ左手には「須賀神社」があります。一条氏が、京の八坂神社を勧請してきたとも云われ、地元では「祇園社」と呼ばれようがです(幡多弁)。
しかし、この幡多地域には須賀神社が24社もありまして、藤原氏が勢力を伸ばす前の実力者蘇我氏の影が結構濃い地域なんでありますね。
四万十川の土手を気持ちよく走ったあと、この社へお参りして宿へ帰るのが、中村出張の朝の定番になっちょうがです(幡多弁)。