潮江山、満良親王、森氏〔666〕2005/02/10
2005年2月10日(木)曇り
とても暖かい朝です。空は曇り空ですが、これから晴れてくる予報。ちなみに今朝の高知市内予想最低気温はなんと7℃。先週の冷え込みが嘘みたいですな。
昨日、潮江村のお話をしました。今朝は、その中で少し触れた「森氏」にまつわるお話。写真は、柳原、フランクチャムピオンの碑の前から夜明け前の筆山(ひつざん)方面を撮影したもの。この橋は「柳原橋」で、帳面の大きな建物が高知市陸上競技場兼競輪場「龍馬スタジアム」、右手が高知市体育館でございます。建物が邪魔で判りにくいですが、ここから見た筆山とその筆山が鏡川に写った姿はまさしく「筆」なのであります。
さて、お話は「森氏」。この筆山、古来要害の地として様々な歴史の舞台となりました。南北朝合戦の頃には、後醍醐天皇の息子さん「満良親王」がやって来まして、現在の高知城の山を根城とする土佐南朝方の英雄「大高坂松王丸」と連携、この筆山(潮江山)に、南朝方の新田綿打入道や金沢将監などと一緒に布陣して戦いました。激しい戦の末、北朝方に破れ、松王丸も戦死してしまいました。
その後、戦国の世になって、現在の土佐町森を根城にする「森氏」の一族がここを本拠とするようになりました。一説には、隣の本山を根城にした大勢力本山氏に押され、ここまで引き下がって来たとも云われちょりますが真相は不明。
戦国土佐の事実上の決勝戦、長宗我部氏と本山氏の戦いで本山氏が敗れ去りますと、森氏は、長宗我部元親によって安堵され、長宗我部の宿老並みの扱いを受けて山中の森城もこの潮江城も再興されたみたいですね。
今。この山は山内家の墓所などが鎮座しちょりますが、戦国の世には森氏の居城がこのてっぺんにございまして、睥睨しちょった訳ですね。今でも、空堀や城郭の在った後が確認されます。