潮江村の夜明け〔665〕2005/02/09
2005年2月9日(水)よう晴れちょります
今朝の高知市内、朝日がとてもきれいに輝くお天気ですな。
ここは、いつもの天神大橋。橋の上から東を向いて撮影してみました。向こうには潮江橋やトップワン四国、高知市文化施設かるぽーとなどが見えよります。この鏡川右岸は、その昔は「潮江村」でございました。塩田や新田が広がるのどかな農村ですが、お城下から長浜方面へ向かう交通の要衝でもございました。
11世紀末頃、この、浦戸湾が入り込んだ一帯が、京の加茂社の荘園として開発されました。しかし、西暦1100年の正月に起きた「康和の大地震」で海没、その後はなすすべもなくしばらく放置されちょったみたいですね。中世になりますと、室戸の最御崎寺の荘園として開発され、豊かな塩田新田が広がることになったそうです。戦国時代、鏡川左岸は「国沢城(現在の堀詰の南辺りにあった平城)」を根城にした国沢氏や現在の高知城の山の大高坂氏がバンキョしちょりましたが、この右岸に勢力を張ったのは「森氏」。以外かも知れませんが、この森氏は、現在の土佐町の役場がある森界隈を本拠地とした戦国大名。四国山脈の山中にある山里土佐町からここまで勢力を持っちょったがですね。森氏は、土佐町の隣の現在の本山町を本拠とする本山氏との戦いに破れ、戦国の覇者争いから脱落していきます。
この潮江村には、戦後、酪農さんもたくさんおりました。つい最近まで酪農さんをやって下さりよりましたNさんは、潮江の大地主。釣りに行ったり酒を飲んだりの悠々自適の生活を送っていらっしゃいますが、固定資産税の額を聞くと半端じゃなかったですな。