日高村、チャートの精緻な石積み〔6632〕2021/06/12
2021年6月12日(土)雨
昔、「松の緑」という土佐酒、ありました。今も広告看板とかが残っているのを、時々見ます。その「松の緑」は、日高村の酒蔵でした。明治23年のある日のこと。日下村の豪農、松岡治三郎氏が、農作業の手を休め、息子の馬吉君に「小作米も多いし、酒でもつくろうか」と話したのが、始まり。と、日本建築学会高知支所がつくった「土佐の近代化遺産をめぐる」という冊子に書かれてます。
この冊子、こないだ高知県立歴史民俗資料館でお会いした、日高村教育委員会の方が、データで送ってくれたもの。その冊子には、その「松の緑」の酒蔵だった家を調査した結果が詳細に書かれておりました。「松の緑」酒造は、平成2年に酒造をやめてますので、もう、31年になります。そんなになるのか。
酒蔵でもあった松岡家住宅。今は「日高村酒蔵ホール」となって、カフェやギャラリーもあるんだそう。ここ見てみたら、営業日は毎週火曜日。なるほど。不思議な営業曜日の、酒蔵ホールだ。今日はもちろん、営業してません。
でも構いません。今日の目当ては、この石積みだから。
「土佐の近代遺産をめぐる」では、明治後期から昭和初期にかけて建てられた建築物についても詳しく報告してますが、その建物群が乗る石積みについても、なかなか詳しい。
ご覧ください。この見事な石積み。チャートの亀甲積み。チャートってのは、こないだも書いたけど、硬くて加工しにくい石。高知城の石垣にはチャートが多く使われてるけど、ご承知の通り野面積み。チャートの亀甲は山内神社南側でも見れるけど、ここのはすごい。いや、すごい。こちら側に盛り上がるように美しく積まれた亀甲のチャートは、「剃刀の刃も入らない」と言われるほどの精緻な積み方が為されておりました。こんな見事なチャートの亀甲積みは、そうそう見られるものではありません。
この冊子には、日高村のあらましも書かれてます。
藩政期初期、仁淀川に、鎌田堰、八田堰が築かれて、春野とかに広大な農地ができました。野中兼山の仕業だ。ところがその堰ができたことで、仁淀川の水位が上昇。仁淀川に流れ込む日下川流域には、広大な湿地帯ができることになってしまいました。そして、大雨の度に日下川が逆流して、日下一帯は再々の洪水に悩まされてきた、とのこと。
松の緑酒造は、洪水にも流されないよう、強固に積まれた石垣の上に建てられる必要があったのでした。硬いチャートをこれくらいビシビシに積むと、洪水でも壊れないし流されない。
写真左端には、石垣ではない、チャートの自然岩の露出が見えてます。この背後の山にはチャートが豊富にあるのでありましょう。先人の知恵と努力が、このような美しい見事な風景を作り上げました。元を辿れば野中兼山の仕業にいきつくけど。
嬉しいのは、石積みの上に見事なレンガ塀があること。普通の長手積みやけど、美しいね。
今日は雨中自転車。朝、長浜御畳瀬方面を走った後、伊野からここ日高、佐川を通って斗賀野、須崎。雨の中を走るのが心地よい季節になりました。Instagramに、写真を上げてます。
先人の良い仕事を見て、僕も良い仕事をせんといかん、と思う、雨の朝。