新改駅の朝〔6591〕2021/05/02
2021年5月2日(日)晴れ!
にちようび。コロナのGWの日曜日。今日は、お昼過ぎからzoom飲みの予定。去年もやったねー。連休恒例zoom飲み。まさか来年はやらんと思うけど、このご時世、一寸先は闇ですきんね。高知のコロナも少し増えてます。
そんな訳で、お昼までの時間を有効に過ごす為、漕ぎ上がってきました。新改駅。家から、国分川沿い、そして国分川に流れ込む新改川沿いを遡上し、平山から標高差100mの急坂を漕ぎ登ると、新改駅。標高208m。
幾度もご紹介してきたJR土讃線、新改駅。人里からはかなり離れてて、スイッチバックなので、秘境駅としても有名やけど、ここは、日本にとって非常に重要な駅だったことが、あります。太平洋戦争末期のこと。
戦争末期、日本軍は、米軍の本土上陸作戦がどのように行われるのか、たくさんのシミュレーションを行なってました。その一つが、高知県の沿岸からの上陸作戦、という想定。それに備え、高知沿岸の山に要塞を築き、軍隊を置いた話は、幾度も幾度も書いてきました。鉢伏山の第11師団とか。
師団ってのは、旅団の上。戦争末期の第11師団には、ご当地連隊である44連隊を含めて7つの連隊や5つの部隊が所属しておりました。朝倉の、あの広大な連隊の連隊長は大佐格。第11師団の師団長は、中将。偉い。
では、第55軍は、というと、その第11師団を含む4師団に1旅団、それに第10砲兵司令部が所属するという大きくて重要な組織。司令官は中将。中将でも、大将に近い有力者が任命されるのが軍司令官なのでした。軍隊のヒエラルキーでいうと、実戦部隊のトップクラスね。
通常だと、高知に、そういうクラスの軍人がやってくることはありません。高知のトップは44連隊の連隊長で大佐クラスですきに。
ところが戦争末期には、この山中に中将クラスがゴロゴロする、という事態になったのでした。
新改村の元村長、三木豊秀さんが、昭和46年2月に、こう語っています。
「軍の偉いてがここに集まったかて?そりゃカーキ色ばかり、民家も公民館も学校も軍人さんでいっぱい、こどもらは養蚕室に分かれて学習というありさま。そのこどもらだって、「ああ青色か」ってこバカにするほど、将校もいましたね。」
青色ってのは、尉官の剣帯の色。高知では、尉官でもかなりのヒエラルキーやけど、その戦争末期の新改は、あまりに階級の高い軍人ばかりなので、尉官くらいなら子供のバカにしてた、という話。軍人インフレね。
そんな不思議な世界が、この山中にあったのでした。
いや、その司令部とかがあったのは、学校とか公民館とかがある場所なので、もう少し里。しかしこの駅は、第55軍司令部にとってとても重要な駅であったでしょう。
もし、戦争が8月に終わらず、米軍が高知に上陸するという事態になっていたら、軍司令部は米軍攻撃の目標となっていただろうし、この山の人々や暮らしはとんでもないことになっていたのかも、知れません。
この、静かな山中の秘境駅に、そんな歴史があったことを知る人も、今は少ない。GWやけど、静かな静かな新改駅。