ここは鎌嶋〔6580〕2021/04/21
2021年4月21日(水)晴れ
南国バイパスと高知県人が呼び習わす道路は、国道55号線。高知市から室戸方面へとつながる幹線道路で、交通量もなかなかのもの。バイパスというくらいなので、本道があります。それは舟入川沿いの電車道。南国バイパスができるまで、あちらが幹線道路、国道55号線でした。
南国バイパスがどんどん出来てた時の記憶、あります。
当時、弊社も南国工場(現本社)ができたばかりで、僕は、父に連れられてしょっちゅう南国工場へ行ってました。昭和40年代の初め頃の話。
僕の記憶では、電車通りの介良通り電停の辺りから介良の方へと進み、そこまで開通してたバイパスを車で走ったこと、覚えてます。まだ、高須と葛島の間は未通だった頃の、話。この写真の頃。
そのバイパスを東へ少し走ると、右手に小山がありました。いや、まったく記憶には無いけど、この航空写真でも、また、この、バイパスができる前の航空写真でも、ちゃんと細長い小山が見えます。
今朝の写真の、この青丸の場所で、撮影しました。この場所。古地図には「鎌嶋」と記載。南国バイパスの、ヤマダデンキの南、ブリコが建つ場所には、かつて、「鎌嶋」という小山があったのでした。この界隈の方は覚えてるんでしょうね。この「鎌嶋」という地名から推測するに、ここは、古浦戸湾に浮かぶ島だったのでありましょう。
そこで、地理院地図の土地条件図だ。
これ見ると、確かに、ここには細長い山。形状が鎌の刃みたいだから「鎌嶋」だと思われます。
ちなみに、現在も南国バイパスの北側に見える小山は、丸山。そのまんまやがな。丸い山が「丸山」で、鎌の刃みたいな山が「鎌嶋」。
この地理院地図の「時系列表示」で、1960年代、1970年代、2010年、2017年、と見てみると、その変遷がよくわかります。「鎌嶋」の存在も。
紀貫之が大津から船出した時代の風景を妄想してみました。
この介良の自然堤防(黄色の部分)上に集落があり、「長崎」が古浦戸湾に突き出しておりました。その、浅い古浦戸湾の、「長崎」の目の前には「鎌嶋」が浮かび、その向こうに「丸山」。その向こう、高天原山から連なる半島の先っぽに、多くの水主(かこ)が暮らす鹿児。そしてその北東の山裾に、自然堤防地形を利用した大きな港、大津。
帆を立てた小舟が行き交う浅い内海は、静かな静かな海。その鏡のような水面に、緑の山や島、青い空、そして白い雲が写り、ゆったりとした時間が流れ、湿地帯には白い鷺。
「鎌嶋」という地名だけで、そんな風景が目に浮かぶ想像力を大切にしたいと思う、春の朝。
想像も大切やけど、現実も大切なので、そろそろ仕事、始めます。