ロープウェイは、ここに〔6571〕2021/04/12
2021年4月12日(月)曇り
こないだ、「こどもの国」について書きました。昭和41年から昭和49年まで、たった8年間だけ大原町に存在した、僕らにとってのディズニーランド。夢の国。その8年間は、僕が5歳から13歳。丁度、ぼっちりの年代ど真ん中という訳で、とても印象深く記憶に刷り込まれている「こどもの国」
もちろん一番人気はジェットコースター(今思えばかなりしょぼいけど、当時の僕らにとっては絶叫マシンだった)で、プラネタリウムもあった「こどもの国」。
で、そのアトラクションのひとつに、鏡川の対岸まで行って帰るロープウェイがあった、というのは、覚えてる方も少ないけど、この写真で紹介したようにまぎれもなく、ありました。
今朝は市内に用事があったので、このロープウェイがあった場所を検証してきました。手がかりになるのは、山内神社。まだ、あの頃は山内会館も建ってなかったし。
写真右端に写ってるのがたぶん山内神社。そこから類推して、たぶんこの辺りに、ロープウェイが架かってました。たぶん、どっか他所の遊園地かイベント会場で使われてたのを持ってきたんだと思います。写真見ても、ちょっとボロい。
それでも鏡川にロープウェイを架けようとう発想がいいっすね。半世紀前、ここには、ロープウェイ。
当時の写真を拡大して見てみると、対岸、つまり北岸の土手の上には、三々五々に人の姿が。この界隈は、当時、市民の憩いの場所だったようです。
今は、朝晩のウォーキングスポットみたいになってるけども、半世紀前は、市民が憩う場所だった、鏡川。そもそも「こどもの国」も、昭和41年に開催された「南国産業科学大博覧会」のアトラクションとして作られたものが、そのまま8年間継続運用されたものな訳で、この界隈は、博覧会が開催されるような場所でした。
そうそう。以前にも書いたけど、この対岸の柳原にはサーカスも来てましたね。サーカステントが建って、割引券を手に入れた僕ら小学生は、見たことなかったサーカスに驚き、憧れたのでした。
そして、もう少し東にはトランポリン場。トランポリン場は、その後、ゴーカート場にもなってて、この航空写真でゴーカート場だった証拠を見ること、できます。いや、違うか。ゴーカート場が先で、後でトランポリン場かも知れない。
どちらにしても、そう、こどもの国があり、市営プールがあり、サーカスがやって来て、トランポリンもあった、僕ら子供をウキウキさせた鏡川畔。
この写真を撮影した数年後、この対岸には、高知で最初の洋風宴会場を備えた山内会館ができました。
いつしか南国橋も沈下橋もなくなり、山内会館も、つい先年取り壊され、こんな風景になった鏡川畔。
半世紀後にどんな鏡川になってるのか想像もできんけど、形は変わっても、市民の憩いの場所であり続けるんだと思います。110歳まで生きたら、その風景見れるけど。