昭和40年頃の追手前小学校〔6552〕2021/03/24
2021年3月24日(水)晴れ!
こないだ、「こどもの国」のロープウェイの写真、ご紹介しました。あの写真は、姉が送ってくれたデータなのですが、その際に一緒にこんなのも送ってくれてました。我らが追手前小学校の写真。僕も卒業生やけど、もちろん姉も卒業生。こんな航空写真を撮ってたんですね。
僕は、こんな風に運動場に並んだ記憶がないので、たぶん昭和40年頃の写真だと思います。姉は、この「おうてまえ」の文字のどこかにいるんでしょうな。
でも、僕が入学したのも、こんな追手前小学校でした。
左上が北で、右下が南。南側に二階建ての校舎が2棟並んでるけど、僕が2年生になる頃、そこに体育館が完成して、東側の棟だけが残されたと記憶します。鉄筋の三階建てが5年生、6年生。その南が給食室で、丸い池を挟んで南側の校舎。体育館ができるとき、あの丸い池もなくなりましたねー。
南校舎の残った部分は音楽室とかに使われてて、教壇のことろに赤いインクの染みができてたことから、お約束の学校の怪談話が語られてたこと、覚えてます。
それにしても、追手筋の街路樹の小さいこと。クスノキの幼木。まだ、追手筋が拡幅されて街路樹が植えられて、そんなに年月を経過してない風景。今だとこんなになってますきんね。半世紀以上経過すると、樹木も大きくなりました。
南校舎の東側は、町田病院。帯屋町から入って行く車寄せが、ちゃんと見えます。町田病院の西側、小さめのヤギリが乗ってる家がOくんち。よく、遊びました。今もよく遊んでるけど。
北東の、校舎とプールの間の北側にも門があって、そこに、よく、自転車に乗った物売りがやってきてました。紙に糊塗って、色粉をくっつけて絵を描くセットとか、文字通り子供騙し、売ってました。よく覚えてるのが、木を組み合わせた複写道具。両端にえんぴつとかを挟むようになってて、片側で絵をなぞると、もう片側で同じ絵が描かれるという、子供にとっては驚異的な複写道具は、高かったから買えない。その道具で客寄せして、なんか、別の子供騙し売ってたと記憶します。学校の敷地内まで入り込んできてたと思うから、今やったら大変やね。
僕らの追手前小学校も、2013年3月に閉校し、いまはもう、ない。あの閉校式で歌った最後の校歌は、忘れられません。