こどもの国の、ロープウェイ〔6550〕2021/03/22
2021年3月22日(月)晴れ
昨日の高知新聞、なかなかの反響でございました。ありがとうございます。脱プラに対する皆さんの関心の高さ、改めて身に染みたところでございます。今後とも、よろしくお願い申し上げます!
さて。
このにっこりでは、幾度か、こどもの国のロープウェイについて書いてます。そう。今の龍馬スタジアム(競輪場)の北側に、昭和41年から昭和49年まで存在した「こどもの国」のロープウェイ。
その「こども国」は、僕らにとってのディズニーランド、夢の国だった。昭和41年から49年だから、丁度、僕らが子供の頃にピンポイントで存在した訳で、僕ら世代のために存在したとも言える「こどもの国」。昭和41年に南国産業科学大博覧会というのが開催されて、それに合わせてつくられたという遊園地。今から思えば小さくて、たいしたものはないけど、僕らにとってはディズニーランド、夢の国。
明治時代になって汽車が登場したけど、汽車見たことない人にとっては人力車が夢の乗り物だった、みたいなことでしょうか。たぶん、違います。
「こどもの国」の場所は、ここ。この十字の場所。当時の航空写真だと、これ。こんなに狭かったのね。当時の感覚としてはもっともっと広いイメージでした。もちろんジェットコースターが一番人気で、他にも色々あったねー。そして鏡川の対岸まで往復してくるロープウェイ。
意外やけど、このロープウェイのこと覚えてる方が少ないのであります。僕は覚えてるし、写真で見た記憶がありました。で、昨日、姉がデータで送ってくれた写真に、そのロープウェイがはっきりと写ってたので、紹介してみましょう。これだ。これこれ。この写真。
左側の写真は、北岸、つまり山内神社側の岸から撮影したもの。向こうに見えるのが「こどもの国」。「さらばアフリカ」ってなんだろう。ジェットコースターの線路が見えてます。今考えると、短い簡便な、アッという間に終わってしまうジェットコースターやけど、あれしか知らんかった僕らにとってはとんでもない魅力的なアトラクションだった。
よく見ると、ヤグラみたいなのの上で、ロープウェイに乗るの待ってる人が並んでます。
右側の写真は、「こどもの国」側から撮影したもの。右に写ってる屋根が山内神社の西門とすると、この対岸は山内会館くらいになります。山内会館ができる前の貴重な風景。
「こどもの国」の話題は、僕ら世代とかではよく出てくるけど、このロープウェイの話はあんまし出んので、こうやって存在確認ができて良かった良かった。
ちなみに、左側の男の子の頭の形は、どうやらそうに違いない。と言うことは、右側のロープウェイで、窓にかろうじて顔が届いてる少年も、そうに違いない。知らんけど。