世の中の変わり方〔6540〕2021/03/12
2021年3月12日(金)曇り
昨日で10年。ネットやSNSでは、10年前のあの日、自分はどうしてたか、みたいな話も溢れてますね。本当に、忘れることができない2011年3月11日。
高知では、もちろん揺れることもなかったけど、浦戸湾とかにいつもと違う波が押し寄せてたこと、よく覚えてます。地震が発生したのが14:46。僕は、15時から、土佐道路のふくし交流プラザで開催される、高知県主催の、スーパーマーケットトレードショーの反省会に出席するべく、駐車場に車を停めてました。携帯電話(スマホではない)の地震速報が、いつものように鳴る。いつものようにどっかで震度3とかの地震が発生したんだろうと思って、携帯の表示を見ると。詳細は忘れました。震度が7とか、マグニチュードが8とか、とにかく目を疑う数値が表示されてて、最初に思ったのは「なんか間違ってるな」という感想。
なんかの不具合で異常値が表示されたんだと思ったのでした。
でも、どうやらそうではないらしい。
それでもなかなか新しい情報が入らないので、15:00から、予定通り会議が始まりました。県庁の役人さんたちも、時折携帯を眺めたり、電話に出たりして落ち着かない雰囲気のまま、会議は進む。しかしどうも大変なことが起きてるらしい、ということで会議は早めひ終了し、ふくし交流プラザ1Fのロビーへ降りてきてテレビを見ると。
すさまじいことになってました。
丁度、東北沿岸を、とんでもない津波が襲う様子が、ヘリコプターからの映像としてテレビに映ってて、僕らは、みんあ、なんか、うめき声を上げながら映像に見入ってたことでした。
それからのことは、あまり覚えてません。
でも、浦戸湾を波が遡上してくる風景は、今もハッキリと覚えてます。
そして原発がやばい、みたいなニュースも流れるようになったけど、それはなんとかなるんだろうと、根拠もなく思ってました。今考えたら浅はかですが。
あれから10年。
地震の時は、目の前が真っ暗やけど、10年経てばなんとかなってるだろう、とこれまた根拠もなく思ってました。今考えたら浅はかやけど。
そして10年目を、こんなコロナ社会の状況で迎えるとは、これまた予想もしてませんでした。
そうそう。10年前までは、東部自動車道に関しての不要論もあったけど、大震災からは「命の道」としての道路の必要性が説かれ、そして、高知ICから高知空港ICまでがつながりました。
でも、東部自動車道から乗ると高知ICでは降りれんという笑うに笑えん構造になってることが判明し、誤侵入が後を絶たないよいう事態も、予想してませんでした。
写真。左側は、高知駅前観光さんの空港バスの時刻表。右側が、とさでん交通さんの時刻表。コロナのせいで、運休だらけであること、わかりますね。
そんな中、東部自動車道の高知南IC~高知IC間が開通したことで、変化がありました。
高知南IC~高知ICが開通したけど、高知南ICから北上すると高知中央ICで降りないと、高知ICでは降りられないから高知自動車道に乗って南国ICか伊野ICまで行ってしまう。空港バスでは、駅前観光さんのバスは高知南IC~高知ICが開通しても今まで通り、上りも下りも高知南ICと高知空港ICの間で東部自動車道を通るけど、とさでん交通さんの空港バスは、空港行きは、今まで通り高知南ICで東部自動車道に乗って高知空港ICで降りるけど、高知空港発のは、高知空港ICで東部自動車道に乗り、高知南ICでは降りずに高知中央ICで降りて、はりまや橋、高知駅へと向かうから、宝永町や菜園場で降りようと思っても降車できず、はりまや橋まで連れていかれるみたいにこの時刻表では読めるけど、降りれるのかも知れません。今度、確認しちょきます。
さて。理解できましたか?
世の中は、どんどん変わってゆく。変わってゆくけど、ついていくのは、なかなか大変。願わくば、僕らのような高齢者でもついていけるように、変わっていって欲しいのでありますが・・・・