樫迫隧道〔6523〕2021/02/23
2021年2月23日(火)晴れ
こないだ、大方と中村の境目の逢坂トンネル(初代)をご紹介しました。そのときにも書いたけど、明治30年頃、高知市と中村をつなぐ「中村街道」が整備され、トンネルが掘られたんですね。その際掘られたトンネルで、今も残るのが、こないだの逢坂トンネルと、土佐市と須崎市の境目の樫迫隧道、そして伊与喜駅の南の熊井隧道。こないだの逢坂隧道は、今はもう使われてなくて、藪漕ぎせんと辿り着けん場所にあるけど、他の二本は今も現役。
今朝は、その、樫迫隧道へ行ってみました。自転車で。
夜明け前、自転車で家を出て国道56号を西進。仁淀川を渡ったところで仁淀川西岸を南下して新居。しんきょ、ではなくて「にい」だよ。そして宇佐を通り抜け、浦ノ内湾北岸のクネクネクネクネを走る。浦ノ内から戸波浦トンネルを抜けて再び国道56号に戻り、新名古屋トンネルの手前から旧道の入って坂道をえっちら漕ぎ上がったのが、ここ。樫迫隧道。
今の国道の「新名古屋トンネル」が開通したのは平成6年。それまではその横にある「名古屋トンネル」でした。あのトンネル、国道トンネルにしては狭くて、一度、重機を積んだトラックが、重機をトンネルの天井に引っ掛けて立ち往生してるのに行き当たったこと、あります。昭和33年に開通した「名古屋トンネル」は、今はもう、通れません。
その「名古屋トンネル」ができるまで、中村街道の重要なトンネルであったのが、この、樫迫隧道。普通、初代、二代目、三代目と名前が継承されることが多いけど、ここの場合は名前が変わってますな。どうでもいいですか?
トンネルの両側に民家があって、今も現役で使われている樫迫隧道。
こないだの逢坂隧道は、トンネル内部は全部レンガ積みで、イギリス積みでした。あのトンネルに2年遅れて開通したと思しきこの樫迫隧道は、こんな感じ。壁面は、砂岩の亀甲積み。壁面上部からアーチ部分がレンガ積みだ。レンガは、長手積みやね。つまり、たぶん、トンネル職人は別だ。つくりが違う。明治期、いろんなトンネル職人さんが、いろんな技術を試みてたこと、わかるではありませんか。楽しいですね。
ネット情報では、長さ75.8m、幅4.15m、高さ4m。地面は、未舗装。いい感じのトンネルでした。
現在の国道からこの隧道までは、かつての中村街道を上っていく訳やけど、楽ちん。標高差は100mくらいあるけども、坂道が、緩い。そう。猪ノ鼻峠の旧道と同じだ。明治の幹線道路は、人力車や大八車が往来したので、坂道が緩く作られてます。自転車で走るとよくわかるね。身体に優しい明治の道路。
それにしても、逢坂トンネルにしてもここにしても、二代目は既に通れんなってるのに、明治の初代は今も元気。すごいです。明治の職人。
今、そうだ山温泉で、このにっこり書いてます。今年は、雪割桜の桜まつり、コロナで中止なんだそう。残念やけど、桜はコロナに関係なく、キレイです。