仮置土と命山〔6522〕2021/02/22
2021年2月22日(月)晴れ
暖かい朝。冷えこんだり暖かくなったりの忙しい気候が続きますきに、風邪ひかんようにせんといけません。ただ、この冬はコロナ対策で常時マスクやし、手洗いうがいにアルコール消毒ときたもんだ。なかなか、風邪ひきませんね。とはいえ油断したらいかんいかん。
去年の秋頃からやったでしょうか。会社の前の田んぼに、土砂が積み上げられてます。こんな感じで。右手の明かりが、午前3時半の弊社。もう、みなさんお仕事してます。ご苦労様です。
で、この土砂。最初はいったい何ができるのかと思ってました。作業をされてる方に聞くと、仮の土砂置き場とのこと。何か建つ訳ではなかったので安心ししました。
今、会社の東側の物部川では、防災のための河川改修工事が鋭意行われてます。一時的に川の流れを変えたりしながら。いや、東日本大震災の後にも、結構大規模に堤防の改修工事をやったけど、今やってるのは、その続きなんでしょうかね。ともあれ、会社の前の堤防が頑丈になるのはありがたいことでございます。
で、この土砂置き場。この看板にあるように、一時的に置くもの。一時的やけど、搬出するのは数年後なんですな。数年間を「一時的」と言うのかどうか知らんけど、まあ、地球の悠久の歴史に鑑みたらそういうことになるのでありましょう。
ここで、思いました。
もし、どうしても土砂を河川に戻す必要なないのであれば、こういった土砂で「命山」を作ればいいのに。
「命山」の話は、以前、随分と書きました。今の高知空港の滑走路部分に存在した標高28.2mの室岡山は、地図にも「命山」と描かれたくらい、地元では大切にされてきた山でした。物部川の大洪水や、南海トラフ大地震の津波から、幾多の人命を守ってきた「命山」。
それは、たぶん、弥生時代に南四国最大級の集落ができた当時から「命山」だったと思います。物部川の自然堤防上に展開した竪穴住居群は、物部川がもたらす豊かな水と土地の上に成り立ったけど、それは物部川の水との戦いでもあり、また、津波も幾度となく押し寄せた集落だった。それでも、弥生前期から終末期に至る数百年間栄えた集落でありえたのは、近くに「命山」があったからかも知れない、と、最近思うんですね。命さえ残れば、家財一式流されても、再興は可能だ。
まもなく東日本大震災から10年で、新聞でも色んな特集が組まれてます。10年経ち、すべてが流された人たちの、復興の姿。
田村の弥生集落の近くにあった「命山」は、太平洋戦争の後期、海軍航空隊が飛行場を整備する為に取り崩され、跡形もなくなってしまいました。皆が逃げた命山は既に無く、避難タワーが各所につくられています。避難タワーはもちろん有効だし、大事。
「命山」の利点は、斜面に囲まれている、ということと、平時は公園にしておける、ということ。昔、津波で流された人が、命山にたどりついて助かった、とも言います。斜面だから、打ち上げられることもありますきんね。
この会社の場所は、標高13mあるので、想定ではギリギリ津波到達エリアではありません。もう少し南。今はほとんど使ってないような田んぼがたくさんあるので、あの辺を買い上げて、河川改修工事の残土を使って「命山」を作ってはどうかな、と、朝っぱらから勝手に妄想しているのでした。それだと「一時的」ではなくて「恒久」の、残土置き場になるし。
まもなく、あれから10年になります。