明治29年、煉瓦造りの隧道〔6520〕2021/02/20
2021年2月20日(土)晴れ
今日は幡多方面。仕事です。
国道56号を走ると、黒潮町と四万十市の境目に「逢坂トンネル」という立派なトンネルが、あります。大方と中村の境目と言うた方が、ピンときますね。そのトンネルは三代目で、以前、二代目のトンネル入り口まで行こうとして断念したこと、あります。で、今朝は、初代逢坂隧道へ行ってみたのでした。
初代は、現在のトンネルの真上に、あります。今の季節なら、そんなに薮を漕がんでも行けますね。
大方側のトンネル入り口の真上には「澤利之明開」と刻まれた銘板。右から読みます。文明開花のお陰でできたトンネル、といった意味でしょうかね。初代逢坂隧道が完成したのは明治29年といいますね。当時、高知県内では道路が整備され始めてて、煉瓦造りのトンネルが各所で掘られました。ネットで調べると、国道56号線には、明治期につくられた煉瓦隧道が3本残っているとのこと。廃トンネルとレンガ積みが好きな僕としては、探検してみるにしくはなし、だ。
実はこのにっこりでは紹介してないけど、一度、この入り口まで来たことありました。その時は、レンガ積みには興味もなくて、なかなか美しいトンネルが掘られたんだ、くらいの浅い感慨だった。もったいないことに。今日行ってみると、すごい。このトンネル、全面レンガ積みです。両方の入り口面はもとより、その擁壁も、そしてトンネル内側の壁も全部、レンガ積み。にっこり読者の方なら、この写真見たらわかりますよね。そう。イギリス積みで、天井部のアーチもなにも、全部積まれてました。このように少しだけヒビが入ってるけど、全然壊れてません。明治29年から125年の歳月を経て、この美しさ。すごい。深い感慨です。
で、他のネット情報には、こんなのがありました。なるほど。大正時代、かの上林暁さんが、大方の家から中村の中学へ8km歩いて通うのに、このトンネルを通っていたという話。西側出口の茶店を兼ねた自転車屋さんの娘のことを書いた「トンネルの娘」という作品もあるんだってね。今度、読んでみます。この写真は西の入り口から撮影してるので、この辺にあったんですね。今は鬱蒼とした薮やけど。
上林暁さんも歩いたトンネルは、今はもう通る人もなく、新しいトンネルの上に静かにたたずんでいます。しかしその姿は、上林暁さんが歩いたときのまま。少し色褪せて、時の流れを感じさせてくれるけど、明治の職人の心意気を今に伝える、土木遺産。