国際スポーツセンターとスポーツセンター国際〔6519〕2021/02/19
2021年2月19日(金)晴れ!
今朝も冷ようございました。用事があって、吉田町界隈にきてます。吉田町。
昨日、スキーのこと書いたので、今朝はスケートだ。そう言えば、橋本聖子さんになりましたね、アレ。なんだかんだで、色んな意味で、特別なオリンピックになってきました。橋本聖子さんは北海道出身。冬のオリンピックで活躍するのは、北海道とか長野とかの選手が多いっすね。当たり前やけど。
高校同級生の友人S君は、東京の大学に通うようになってからスキーを始め、高知へ帰ってきたら国体選手でした。大回転の。子供の頃から自分の足のようにスキーに乗ってきた人たちと国体で勝負する訳で、なかなかハードルは高いよね。S君、沖縄の選手に負けたと笑いながら話してたのを思い出す。
スケートなら、スケートリンクさえ有れば雪国でなくても大丈夫そうな気もするけど、それもなかなか難しそうではあります。昔、高知にはスケート場がありました。
この話、以前にも書きましたねー。吉田町にあった国際スポーツセンターの話。吉田町に国際スポーツセンターができたのは、僕がまだ小学校の低学年頃だったと思います。確か、「国際スポーツセンター」という名前やったと思うけど、勘違いかも知れません。夏は滑り台付きのプールになり、冬場はアイススケート場。 南国土佐の高知市民にとっては画期的施設だったと思います。小学生の頃、よく行きました。前にも書いたけど、僕らの世代の高知市民はスケート経験がある人が多いので、今の若い高知市民よりはアイススケート上手だと思います。これ、ホント。国際スポーツセンターのお陰だ。
当時の航空写真は、これ。スポーツセンターが建つ前の航空写真は、これ。
当時の高知の小学生にとって、アイススケート場というのは、とんでもない非日常空間でした。普通はフィギュア用の靴を借りて滑る訳やけど、上級者はスピードスケート用やアイスホッケー用で滑ったりしてましたねー。
2時間に1度くらいやったでしょうか。リンクから全員が上がるよう放送があり、トンボの大きいのみたいなのを持ったホッケー用の靴を履いたお兄さんたちがリンクに降りて、リンク表面の水とかを排除してキレイにする作業をしてました。そのお兄さんたちが、上手い。僕らから見ると、とても上手い。軽やかに滑る姿を、指を咥えて見てました。
僕の記憶では、ボウリングブームが終わりかけの頃に、ボウリング場に衣替えしてしまったというイメージがあります。で、アッという間にブームが去り、ボウリング場は畳まれてホームセンターになりました。
近年、そのホームセンターも取り壊され、今ではコンビニとディスカウントショップ。
あの頃、ボウリング場になんかしなけりゃ良かったのに、と思った記憶があります。ひょっとしたら、今も、高知市内にアイススケート場が存在した、かも知れません。さすがにそりゃあ無いか。
そうそう。確か、あのスケート場は「国際スポーツセンター」で、洞ヶ島の辺りには「スポーツセンター国際」ってありましたよね。そこは、1階がビリヤード場で1階が卓球場。そこで、中学生の頃、ビリヤードを覚えました。
今は昔。