雪の断章〔6518〕2021/02/18
2021年2月18日(木)晴れ
こないだご紹介した、故坂東眞砂子さんの著作集「しじ万より」、高知新聞総合印刷さんの書籍オンラインショップから購入できるようになりました。恥ずかしながら僕が「帯」を書いたアレですね。そのうちアマゾンとかでも買えるようになるかも知れませんが、今は、ここで。もしくは、高知県内の本屋さんで。「帯」を書いてしまった責任があるので、宣伝させて頂きます。
鋭い視点とズバズバ切り込む筆致、そして弱者への目線。今、こんな時代だからこそ、坂東さんの言葉が活きてきます。高校生のときに投稿したマンガや、小学生の時に書いた詩も所収されてるので、楽しめますしね。ぜひ。
さて。基本、雪が降らない土地に住む僕らにとって、雪は珍しいもので、ちょっと降ったりすると子供は大喜びだったりします。雪深い地域の皆さんには叱られますが。昨日は、高知市内でも夕刻から雪が降りました。もちろん積もるほどではないけど。会社の営業事務Yさんも、子供のように、子犬のように、喜んでました。
写真は今朝、4時半前の、車。出社しようとすると、車がカチバリツイチョリマシタ。こんな感じで。フロントガラスに、昨夜の雪が氷のようにカチバリついて、融かすのに時間がかかってしまった。ドアも凍りついてて、開けるのに力が要ります。春と思えばまた厳冬。いったりきたり。三寒四温。
僕が初めてスキーしたのは、大学1年生の冬だったと思います。大学の、サークルの皆さんに連れて行ってもらいました。確か、白馬ではなかったかと記憶します。今は高校生でもスキー研修とかあったりするけど、当時は、スキーなどというものにはまったく縁のなかった高知の高校生。だから、スキー場に到着して一面の雪景色を見ただけで、感動してしまいました。
泊まった宿では、その直前まで、ポルノ映画のロケが来てて、雪の中、裸で撮影したりしてたと聞いて驚いたこと、覚えてます。当時はもちろんアダルトビデオなんてものは存在しないので、ポルノ映画。
で、スキー、大好きになりました。ポルノ映画は関係なく。
大学3年生の冬には、体育の授業でスキーに当たりました。当たった、というのは、スキーが人気だったから。体育は自分のやりたい種目を選択できるようになってて、1年生のときはバレーボール。2年生のときにはスキーにエントリーしたけど外れてボート。ボートはとてもキツいと聞いてたので、一度も行かずに落とし、3年生でスキーに再チャレンジして当たった、という訳です。野沢温泉やったねー。
スキーができるレベルによって、7人くらいづつ十以上に班分けされてて、僕はもちろん一番下の班やったけど、体育会スキー部の選手が講師で教えてくれるし、楽しかった。あれで単位が貰えるというのが、夢みたい。
上位の班には、スキー部並に滑れるような猛者も。そんな上位の班に、大貫映子さんがおりました。当時、ドーバー海峡を泳いで横断した、ということで超有名になってた女性。さすがさすがの運動神経で、スキーも上手でした。雲の上。空の上。
それでも1週間も居るうちに、お話する機会はあるもので、有名人と話できて嬉しかったっす。それだけではなくて、偶然帰りのバスが一緒になり、最後は二人になって、「お疲れ様でした」とご挨拶して別れたのでした。それだけですが。たぶん絶対に覚えてないと思うけど、僕は覚えてます。
爾来40年。お会いしたこともないけど、スポーツ関係のお仕事で頑張っておられるようで、嬉しい。
若い頃は会社の先輩たちと、毎年のように行ってたスキー。もう、何年も、行ってません。
お手軽な雪山を歩くのは好きで、雪の梶ヶ森は幾度か登りましたねー。S村くん、9年目の真実も、懐かしい思い出だ。
その、大学のスキーの授業では、夜、座学の授業もありました。講師は、大学の体育会スキー部の監督。助手に、スキー部の選手たち。
監督「スキーがどうして曲がるか、説明してみろ。」
助手「はい!気合いで曲がります!」
世の中は、気合いで動いていました。