新改駅、しんかい駅、しんがい駅〔6500〕2021/01/31
2021年1月31日(日)晴れ
こないだお正月やったのに、はや、明日から2月だそう。いやはやまったく。人生ってのは指数関数的。
今朝も寒かったけど、自転車を漕いできました。愛車、ベージュの折り畳み号。
朝5時に家を出て、大津バイパスから曙街道、そして新改川沿いを遡上して、平山。ここ。新改川を堰き止める休場ダムという小さなダムがあり、そのダム湖のまわりに平山の集落。とっても美しい集落。
平山の標高は115mくらい。そして、そこからの急坂をえっちらおっちらペダルを漕ぐ。標高207mまで漕ぎ上がると、そこがJR土讃線新改駅。スイッチバックの秘境駅として有名やけど、駅までは車道もついてるので、坪尻駅ほどは秘境ではありません。
まあ、駅の周辺にはなにもなくて、平山の集落まで15分、歩かんといかんけど。
ここに鉄道が通ったのは、昭和5年。その際にはここには駅も信号場もなかったけど、昭和10年に、新改信号場として設置されたと、ウィキに書いてあります。土讃線が全通すると、ここにどうしても信号場が必要になったのでありましょう。
土佐山田駅と繁藤駅(当時は天坪駅)の間は、標高差は300m。急峻な山間を駆け上がるので、どうしても必要だった信号場。急な坂を登りながら一旦止まってしまうと、再び動き始めるのが困難。そこでスイッチバック。こうやって色別標高図で見たら、確かにここ。ピンポイントで、信号場を開設できそうな地形に見えます。
今気付いたけど、ウィキには、新改駅の標高を274mと書いてます。これは、嘘。今は地理院地図で、いつでもどこでも標高を確認できますきんね。このように、地理院地図では、標高は207m。なんで70mも間違ってるのかは、知りません。
そのウィキの情報では、信号場から駅になったのが昭和22年。昭和31年に、駅の読み方が「しんかい」から「しんがい」に変更になった、とあります。これは知らんかった。ウィキなので、本当かどうかは知りません。
ウィキにも書いてて本当なのは、戦争末期、新改信号場界隈を本土決戦の要塞としようとしていたこと。
米軍の本土上陸を想定した陸軍。特に、あの、瀬島龍三が中心となり、高知県への米軍上陸に備えて第55軍の兵力を高知県内に集中させたと言います。その司令部は、高知市中心部から、ここ、新改の山中へ移転。この界隈に司令部が置かれ、本土防衛の拠点、要塞として整備が勧められていたのは、事実。瀬島龍三がここまで来たかどうかは知らんけど。
今は、ほとんど人が訪れることもない駅。1日の平均乗降客って、何人なんだろうね。二人とか三人とかでしょうか。五人はいないと思う、静かな静かな駅。大好きな駅のひとつです。
第55軍司令部の痕跡って、どっかに残ってるんだろうか。一度、探査してみたいっすね。
写真は、入線してくる始発の汽車。6:58発土佐山田行き。ベージュの折り畳み号を輪行袋に入れ、この汽車に乗りました。土佐山田駅で乗り換えて高知駅。家に帰り着いても、まだ8時になってない。
早起きは得やねー。一日を二日分楽しめる。