葉牡丹、堺町、要法寺、國澤城〔6499〕2021/01/30
2021年1月30日(土)晴れ
冷やい。氷点下。シビコオル寒さが戻ってきた週末。いかがお過ごしでしょうか。
このところ全然飲みに出てません。当たり前やけど。宴会も無いし会合も無いし。高知県民の心のふるさと、葉牡丹へも、1年くらい行ってないっすね。去年の2月3日、いつものように真っ昼間から葉牡丹へ突入した記録が、ここに残ってます。高知県中央酪農組合連合会新年会の、二次会。グッスリやりましたなー、あの日も。ああ。
そして、実は、龍馬マラソンの打ち上げでも行ってます。去年の2月16日。まだまだ危機感もなかった、2月16日。
そろそろコロナってのはやばいんではないか?と言われ始めてた時期やけど、まさかこんなことになるとは、誰も想像もしてなかった。そして、それからの激しい展開は、ご承知の通り。
葉牡丹さんって、2階はほぼほぼ宴会客。コロナのせいで、宴会が激減して、葉牡丹さんも休業に突入しました。そして、これを機会に改装するとかで、秋まで休業という貼り紙が入り口に貼ってあったんですね。その後、休業期間は延長され、今年3月末に再開する、という貼り紙に変わりました。こんな状況なので、正解かも知れません。宴会がほぼゼロ、という環境の中、営業しててもね。たぶん自社物件で家賃かからんし。そしてこの機会を利用して、奥の部分を改装する、らしいのであります。
たぶん、ここ。この空き地のところ。
以前はこの空き地の部分に二階建てが建ってて、2階が広い宴会場。仕切りを取っ払うと、30人、40人での宴会もできました。以前は座敷やったけど、近年、客層の高齢化に適合させて椅子とテーブルになってました。そこで幾度利用させて頂いたことか。夜に利用することもあったけど、ほとんどは真っ昼間でしたねー。
そうそう。夜の「打ち上げ」で、「20人ばあで予約しちょったけんど、ちょっと増えて40人ばあになるがよ。かまん?」「かまんかまん」という葉牡丹ならではの会話があったのも、この2階でした。すごいよね、この対応。今風の言葉で言えば神対応。
葉牡丹の場所は、ここ。この向こう側には、堺町のオフィスビルが並びます。堺町の南は要法寺町。藩政期初期、この向こうに広大な要法寺さんがありました。火災で焼失し、現在の筆山北麓に移転したのは、1667年のこと。でも、それから300年経っても「要法寺」の名前は残り、僕が子供の頃にそこにできたラーメン屋「豚太郎」は、「豚太郎要法寺店」だった。
そもそもその要法寺さんは、戦国期に土佐へやてきたお寺で、最初は浦戸にありました。山内一豊によって大高坂山に城が築かれ、城下町ができていく際、浦戸から移転してきたのでした。その建設用地は、戦国期に豪族として栄え、國澤将監が土居を構えていた場所。國澤城の跡地。國澤というくらいだから、たぶん小川が流れる湿地帯。湿地帯の中の、川に運ばれた土砂が盛り上がった小高い土地に、居館を構えたんでしょうな。
要法寺町で目を瞑ると、そんな風景が見えてきます。きませんか?きませんね。
湿地に囲まれた丘に豪族が居館を構築し、日蓮宗の名刹ができ、堺から移ってきた豪商が並び、そしてオフィス街となった街。その西に、我らが葉牡丹。お店の再開と、そこで宴会できる日が、待ち望まれます。
ああ。葉牡丹で真っ昼間から大おきゃくができる日よ。