瓢箪川、下咥内、地形と地名〔6498〕2021/01/29
2021年1月29日(金)晴れ
寒いっすね。冷やい。まだまだ冬は終わらない。
昨日、瓢箪川について書きました。高知市の市街図を見てみると、昭和40年頃まではまだ「瓢箪川」が流れてるの、確認できます。地元の皆さんにとっては、そこに当たり前に存在した「瓢箪川」。たぶん昔から、江ノ口村の田んぼの間をクネクネと流れてきたんでしょうな。
昔、比島が島だった時代から、土砂の堆積とかによって陸地が広がる中、その陸地の真ん中をクネクネと流れてきたのが瓢箪川だったんだと思います。
瓢箪川が埋め立てられて道路になったのは、いつ頃なんだろう。この、1960年代の航空写真では、まだ、川。こちらの1970年代の写真では、もう、埋め立てられて道路。この間に、瓢箪川が消滅してしまったこと、わかります。
瓢箪川は、現在の、比島交通公園を通って久万川へ流れ出していました。比島交通公園ができたのは昭和45年。1970年。だから、その前に、瓢箪川は埋められてしまったのだと思う。
「埋められてしまった」と書きました。そう。現在の、かつて瓢箪川だった道路を通ってみても、暗渠になってない。川を暗渠にする、ということはよく行われるけど、瓢箪川の場合は暗渠にもされず、そのまんま埋められたみたいですね。
源流をたどると、小津神社のあたりと、昨日書いた愛宕の踏切のあたり。だから、川と言いましても、サラサラ流れてた訳ではなくて、満潮時には海水で満たされるような川だったんでしょうか。だから、暗渠にする理由もなく、埋められたと。
現在、江ノ口小学校の東の瓢箪公園にだけ、瓢箪川の名前の痕跡が残ります。地元の古い方には、まだまだ記憶から消し難い「瓢箪川」も、いつしか、忘れられてしまうのか。
土地の名称ってのは、その土地が持つ歴史、地形などに由来します。だから、小字などを調べると、その土地の在りようが、見えてきたりします。
写真は、今朝、本社棟2階から西の方角を撮影したもの。眼前の田んぼに土砂が積み上げられてるけど、これは、物部川の河川改修工事で出てきた土砂の「仮置場」なんだそう。また、撤去されます。その向こうの集落は「下咥内」。しもこうない。
中世から「咥内島村」という地名が存在してきた、古い古い集落。角川書店「高知県地名大百科事典」には、「咥内島」は「河内島」が転訛したもので、元々は物部川流路に挟まれた自然堤防上にできた集落であったから「河内島」となった、という説が書かれてます。ホントかどうかは知らんけど、説得力、ありますな。
「咥内」については、我らが寺田寅彦大先生による「奇説」もあります。寅彦先生、昭和四年に「土佐の地名」という雑文を書いてて、その中で、土佐の地名をアイヌの言葉と対比させてるんですね。そして、アイヌ語で「nai」は川を意味するので、咥内は「カウンナイ」で、「係蹄をかけて鹿を捕る沢」という意味かも知れない、という奇説。その他にも比島とか夜須とか、たくさんの地名にアイヌ語をこじつけてて、面白い。ご本人も「要するにこじつけであって、ただある一つの可能性を示唆し、いわゆる作業仮説としての用をなすものに過ぎない。」と書いてますきに、まあ、妄想みたいなもんだ。
でも、科学者にとって、こういった妄想はとても大切なんだと教えてくれます。世の中、不思議に満ちてるから。
さて。寅彦仮説を当てはめてみたら。
瓢箪を意味するアイヌ語は、ありませんでした。あったのは「エゾヒョウタンボク」。アイヌ語で「アイナニ」。ということは、瓢箪川は「アイナニナイ」。
そんなことより仕事仕事。