瓢箪川の源流に〔6497〕2021/01/28
2021年1月28日(木)晴れ
明日からまた冷え込む予報。簡単には春には向かわない。コロナも簡単には終息しない。まあ、この調子で頑張りましょう。
昨日、高知駅の北側の、クネクネ道路が川の痕跡であったこと、書きました。すると、高校の吹奏楽部のK大先輩から、小学生の頃に塩田町に住んでおり、家の前を瓢箪川という川が流れていた、という貴重な情報を頂戴しました。なるほど、瓢箪川か。ひょうたん川。
そこで、明治11年に出版された「高知市街全圖」というのを見てみました。この写真下部の地図。かの、河田小龍さんが描いた、高知の市街図。確かに、昨日書いた道路は、瓢箪川という川だったことが判ります。間違いない。K先輩様、ありがとうございました。
で、江ノ口小学校の東側にある公園は「瓢箪公園」という名前やけど、関係あるのか、という疑問も頂戴しましたので、調べてみました。まず、考えたのは、瓢箪川という名称の由来。ひょっとしたら瓢箪型した「瓢箪池」というのがあって、そこを水源とする川だから瓢箪川なのではないか、と推理した訳です。そしてその瓢箪池が埋め立てられて瓢箪公園になったのではないか、と。
ところが。この明治11年の市街図を見ると。そうではないみたい。僕の推理は妄想だった。
この「高知市街全圖」見ても、また、昭和22年撮影の航空写真見ても、瓢箪川の上流は、江ノ口小学校の北側から愛宕中学校の南側への直線水路に見えます。農地なので、灌漑用水が、瓢箪川の上流になるみたいで、池は無い。
ではなぜ瓢箪公園なのか。
そこで、昭和11年発行の「江ノ口中央部新町名一蘭」という地図を見てみたら、驚愕の事実が浮き上がってきたのであります。瓢箪川を昨日の場所から遡上していくと、江ノ口小学校の北東角で、二股に別れているではないか。つまり瓢箪川の上流は、二ルート、あったのだ。江ノ口小学校の北を、真っ直ぐ西から流れてくるルートと、江ノ口小学校の東側を南から流れてくるルートと。南から流れてくるのは江ノ口小学校と瓢箪公園の間を流れている。それも瓢箪川だとすれば、瓢箪公園は、その瓢箪川沿いにあったから、瓢箪公園になった、ということになる訳だ。なるほど。
そして驚いたのは。そちらのルートを遡上していくと、愛宕の踏切のところに出ている、ということ。この写真の上部が「江ノ口中央部新町名一覧」。青い水路が瓢箪川の南ルートの上流で、愛宕の踏切のところまで遡上できること、わかります。そしてその踏切の北をよく見てみよう。
店乳牛沢吉
そう。右から読むようになってるので、吉沢牛乳店。戦前、ここに木造三階建ての牛乳処理工場があったのでした。その名も「吉沢牛乳店」。ひまわり乳業の源流「吉沢牛乳店」が、ここにありました。秦村で搾乳したミルクをここへ運んできて、処理していたんですね。
ひまわり乳業の源流のひとつの真ん前に、瓢箪川の源流のひとつがあった、ということになる訳で、僕にとってはなかなかの驚愕の事実でした。
K大先輩に瓢箪川のことをご教示頂かなければ気付かなかった事実。ありがとうございました。ああ。世の中は知らないことだらけ。
ちなみに「瓢箪川」の瓢箪は、その川の流れが瓢箪に似てるから、らしい。
この、1947年10月に米軍が撮影した航空写真を「高解像度表示」で見てみると、確かに川の流れがクネクネしてて瓢箪を連想させますね。
瓢箪川と瓢箪公園と源流と由来。なんか、スッキリ。良かった良かった。