日曜日の新聞と品性〔6493〕2021/01/24
2021年1月24日(日)小雨
今日も雨が降る。寒くない朝。日曜日。
早朝会社に来て、ひと仕事済ませてからのったりまったり日曜日。日曜日の朝、新聞をゆっくり読むの、好きです。ネットのニュースって、ゆっくり読むという感じにはならんけど、それに比べて新聞はいい。いいね。古いのかも知れんが。
左側、高知新聞。幸徳秋水さんが処刑されて、今日で110年。高知市内の蒐集家さんが、秋水が最後に出した葉書を持っておられることがわかった、という記事。処刑を目前にして文章に乱れはなく、周囲への気遣いに彩られた葉書。秋水の知性、品性、人柄が滲み出る葉書。秋水を、無実の罪で処刑に追いやった側の品性と比較してみたらいい。もっともっと比較したいっすね。
その葉書は、姉の夫に出されたもの。「斯く成行べき運命ですからドウか御あきらめ下さるよう」「御全家の萬福を祈る 先は御暇乞まで」
1月23日に書かれた葉書で、処刑は1月24日朝。あの時代に強烈なインパクトを残した、すごい人物でした。
右側は日経新聞。日曜日の文化面は、なかなか面白い。今日のは、作家の海猫沢めろんさんの文章。9才の息子と散歩してたとき、息子が「おれね、自分で頭いいと思ってるよ」と言う。それはそれでいいのだが、なんとなく反論したくなり、「ソクラテスの話したの覚えてる?」と問いかける父。そう。ソクラテスは、自分が賢いことを自慢する相手に向かって「私は自分が無知であることを知っている分、あなたより賢い」と言うたかどうか知らんけど、いわゆる「無知の知」というやつね。賢いことを自慢する輩に対しての必殺技。
ところが9才の息子は「無知の知でしょ。知ってるよ。」そして「今の日本でそんなこと言ったらバカに見えるだけだから」と言われてしまった、話。
父は、なんとなく納得しかけるけど、どうにも釈然としない。AIの知恵は知性なのか。自分の知識や自慢はどんどんと発信しないとバカにされる、そんな時代なのか。それは嫌だ。
そして父は、今や知性よりも品性の方が貴重になりつつある、という結論に至る。最近の子は、スネ夫になりたがる。ジャイアンに守ってもらえるし、なんでも買ってもらえるから。時代は変わったのである。
だからこそ。今、大切なのは、希少種になってしまった「品性」なのではないか、と書いておられる海猫沢さん。
日曜の朝、読むには、とてもいい文章でした。古いと言われようが、バカだと言われようが、品性を大切にしよう。幸徳秋水さんは、自分を陥れた人たちよりも、僕らの記憶に残っているではないか。
そんなことを、日曜日の新聞は、教えてくれます。
古いと言われようが、バカだと言われようが、僕は新聞派なのです。品性がどうかは別にして。