都市計画〔6491〕2021/01/22
2021年1月22日(金)小雨
小雨が降る朝。最低気温もグッと上がって、春が近づいてきた感じ。まだ1月ですきに、幾度か寒の戻りはあるけど、少しづつ春へ、春へ。暖かくなってコロナも落ち着いたところへワクチンが広まって、終息。となったらいいですね。
写真は今朝、4時半前の常磐町。ここ。この十字の場所の、三菱型の歩道橋上から、鏡川大橋方面を撮影しました。この橋は、通勤時間帯になるとかなりの車がひしめき合うのですが、この時間帯は通る車も少なくて静か。
ここに、この巨大な橋が架けられたのは昭和56年3月。丁度40年前。僕が大学生の頃だから、開通したときは、高知には居ませんでした。帰郷してみたら、巨大な橋ができてました。
高知インターからまっすぐ南下し、ここで鏡川を渡って桟橋方面を横切る。筆山の下をトンネルで抜けて土佐道路につながって、国道56号となって県西部へ。こんな都市計画を考えたのは、いつの時代のことだったんだろう。
現在の土佐道路から高知インターにかけての殷賑を見ると、なかなかの先見の明だったこと、理解できます。
この橋が完成したときは、そんな壮大な道路だとは理解してなかったから、巨大な橋の理由がわからんかったけど。
1960年代はこんな風景。そして橋が架かる前は、これ。電車通りから南へ、鏡川まで広い道路。電車通りの北は、広い道路はしゅっと終わり。大橋が架かって、僕が仕事し始めてからも、しばらくは北への道は開通してませんでしたねー。
このように、都市計画って、長期間腰据えて取り組みものだったりします。それが社会情勢とうまく合致すれば、見事な都市になっていく訳ですね。例えば戦後の電車通りの拡幅みたいな都市計画。
でも問題は、あります。
ひとつは、社会情勢の変化。昭和30年代、40年代に考えられた都市計画は、人口も車の台数も、どんどんと飛躍的に増えていくということが前提で、つくられたもの。何十年もかけての計画であった場合、その経年の中で、社会環境が変化してしまい、計画が社会に合致しなくなってしまう、問題。
もうひとつは、これが重要やと思うけど、都市というものと住民の関わり方の変化。住民が都市空間に何を求めるか、という意識の変化。長期計画だと、この変化についていけない。
高度成長イケイケどんどんの時は、景観風致などは関係なく、とにかくインフラを整備することに猛進しました。そうする必要も、あった。しかしそれで破壊されて理まった景観や文化の大切さが、徐々に再認識されるようになり、例えば日本橋の上の高速道路を撤去する動きとか、ソウルの清渓川の上を覆っていた道路を撤去する、とかいった政策転換が行われるようになったのはご承知の通り。
この巨大な橋や広い道路を眺めながら、都市計画の難しさに思いを馳せる。以前、「都市計画は思想である」てな話を書いたけど、その思想は、遠く将来を見通す目をもったものである必要があるし、そして変化に対応する柔軟なものでなければならない、などといった小難しい話はこれっぱあにしちょきいて、春が近づく三寒四温。頑張って仕事を始めよう。